Kagaku to Seibutsu 55(5): 355-358 (2017)
バイオサイエンススコープ
産総研の「橋渡し」現場で何が起きているのか
Published: 2017-04-20
© 2017 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2017 公益社団法人日本農芸化学会
近年,革新的な技術シーズを事業化につなぐ「橋渡し」の重要性が強調されている.政府による「日本再興戦略」改訂2014(1)1) 経済産業省:20150115広報1号産業技術総合研究所,独立行政法人日本貿易振興機構の中期目標期間終了時における組織・業務全般の見直しについて,http://www.meti.go.jp/intro/koueki_houjin/downloadfiles/ai_07_07.pdf, 2015.によれば,「我が国においては絶えず革新的な技術シーズが生み出され,そのシーズを円滑に事業化するための仕組みづくりが必要」であり,革新的な技術シーズを事業化につなぐ「橋渡し」機能の一層の強化が求められるとされている.そんな中で,鉱工業分野において基礎研究から製品化研究までを同時的かつ連続的に実施する産業技術総合研究所(以下「産総研」という)の組織・業務全般の見直しが行われ,2015年度から「橋渡し」(図1図1■産総研第4期中期計画における「橋渡し」のイメージ)を軸とした産総研第4期中期計画がスタートした.
筆者は産総研の前身である工業技術院の微生物工業技術研究所に1990年に配属されてから20年間研究者として従事し,その後,産総研イノベーション推進本部の企画業務(主として産学官連携企画担当の総括企画主幹)を経て,イノベーションコーディネータ(以下,ICという)として「橋渡し」のフロント業務を担い,現在に至った.ICのキャリアはさまざまであるが,研究者出身のICであっても企業出身のICであっても多くは戸惑い迷いながら手探りで「橋渡し」に携わっている.要するに「橋渡し」は非常に難しく高度な業務なのである.本稿では生命工学の研究者であった筆者が一人のICとして,「橋渡し」現場がICに求めていることを述べる.
ICはいかなる業務を担っているのか.産総研組織(図2図2■産総研の組織図)において,ICはイノベーション推進本部に属し,研究領域に対して独立的に位置づけられている.産総研のICは研究所の成果を産業界に普及するため,企業との共同研究,企業への技術移転,ベンチャー創出等の機会を生み出すなど,「橋渡し」のフロント業務を担当している.産総研第3期中期計画の初年度にあたる2010年にIC業務を制度化した産総研には2016年現在70名を超えるICが在籍する(生命工学にかかわるICは筆者を含め5名である).産総研のICが有する過去のキャリアは,研究者,企業の営業や開発,金融など多様である.多様なキャリアとタイプのICが連携して「橋渡し」業務にあたっている.
ICの前身は産学官連携コーディネータであった.産総研の研究者と企業の共同研究をマッチングするのが主な業務であった.しかし,多くの研究者は共同研究相手を自分で探し,契約まで締結していたために,産学官連携コーディネータがかかわった共同研究案件は20%程度であった.産学官連携コーディネータと研究者が研究成果の価値を共有するためには相当のエネルギーを注ぐ必要があるため,共同研究のマッチングへの介入は産学官連携コーディネータの専門領域に限定されていたのである.実際,筆者が研究者として活動していた期間に産学官連携コーディネータと連携したことは一度もなかった.
ICの存在価値が顕在化してきた.産総研第4期(2015年~)に入って企業との交渉をICに任せる研究者が増えてきた.ICが企業に積極的に面会する機会をつくる努力をしたことで,企業側の最初のコンタクトがICになるケースが増えたことが挙げられる.また,企業側から見ると,どの研究者を必要とするかICが探すことで手間が省けるという利点もある.研究者はICと連携することでより多くの企業とのマッチングの機会が得られる.産学官連携コーディネータに期待されていた任務はICによってようやく達成されつつある.
IC同士の連携が始まっている.IC制度が発足した当初,ICは自分の専門領域に特化し,それ以外の領域の連携機会にはかかわらなかった.また,一つの企業にかかわっている複数のICが互いの活動を知らないケースが多かった.IC間の風通しが悪かったのである.その理由は企業との活動には守秘義務が伴うことが多く,守秘義務と横の風通しのマネジメントについて理解が統一的でなかったことが挙げられる.そこで産総研第3期はICの横連携を促進するための人材育成プログラムや交流会などに注力し,第4期にはIC間の連携が常態化した.ようやくICを含む組織的かつ戦略的な「橋渡し」について議論する基盤が整ったと言える.
「橋渡し」と研究の関係はいかなるものであろうか.産総研は吉川宏之先生が構成学の中で定義した「本格研究」を行う研究所であると説明してきた.非常に深みのある「本格研究」の概念(2)2) 吉川宏之:“本格研究”,東京大学出版会,2009.を一言で表すのは容易ではないが,筆者の理解するところを述べれば,「本格研究」は,具体的現象から抽象概念を導き出す第1種基礎研究と,抽象概念の組み合わせから市場価値を有する具体的な製品仮説を開発する第2種基礎研究に分けられる.そして,革新的な技術シーズを事業化につなぐ「橋渡し」とは,第2種基礎研究から製品化までのプロセスを指す(図3図3■橋渡しの位置づけと研究者,イノベーションコーディネータ,企業の役割).
筆者も「橋渡し」を経験した研究者の一人である.治療の標的遺伝子を絞り込む方法として1999年当初はDNAマイクロアレイを使った疾患組織の遺伝子発現解析が行われていたが,数百~数千に及ぶ疾患関連遺伝子の機能を知る術がなかった.そこで,筆者らは初代培養細胞におけるこれら遺伝子の機能を大規模に解析するために使える遺伝子導入技術の開発を行った(3)3) 三宅正人:Bioベンチャー,4, 22 (2004)..この研究方針を立案するまでには創薬にかかわっている製薬企業の研究者から創薬プロセスの課題について入念に現場で情報収集を行った.最初の試作品を2001年に作り,コア技術の特許を出願したのが2003年だった.最初の試作品からユーザーのニーズに合わせて製品の完成度を高めていくことは,エンジニアセンスの優れた研究者に任せた.筆者は製品のユーザーを絞り込むことに時間をかけ,2008年に製薬企業への技術移転を成し遂げた.技術移転の際には,システムオペレーションプロトコール作成,特許ライセンス,価格交渉,移転先での技術コンサルティングなどの業務が発生した.これらの業務は技術を橋渡しするために創業したベンチャーが組織的に行った.
これからは研究者とICのチームワークが「橋渡し」成功のカギとなる.第1種基礎研究で成果を上げた研究者が第2種基礎研究に移行するケースは自然な流れである.このときに研究者は市場とは無関係に自身の成果に基づいた理想の社会を夢見て応用研究に着手する傾向が強い.しかし,このことが「橋渡し」を終わりのないチャレンジにしてしまう.同時に,研究者は資金獲得に苦労を強いられる.産業や市場の情報を十分に把握したICが研究者と一緒に第2種基礎研究の計画を立案することで「橋渡し」の時間軸が見えるはずである.これは予算規模,財源,配分,民間企業負担などの視覚化につながり,資金獲得を容易にすることに役立つ.
「橋渡し」機能は翻訳機能と調整機能からなる.これは筆者が第3期の産総研イノベーション推進本部において企画業務に従事していたときに,所属部署で「橋渡し」とは何かについての議論の結論である.翻訳機能とは科学的成果を経営者の価値観点で説明するという極めて創造的な機能である.調整機能とは,経営者が必要と考える製品を開発するために必要な連携の利害調整を行うことであり,営業センスが求められる.
筆者の研究成果も翻訳と調整を経て技術移転された.筆者らが開発した遺伝子導入技術の価値を製薬企業の経営者の視点で増収,増益の可能性を説明するということである.創薬の成功確度を高めたいという要望は製薬企業にとって普遍的なものである.臨床試験でドロップアウトする理由は毒性,薬効不足,そのほかとあるが,投資額が最も大きい第3相試験でのドロップアウトの主要な理由は薬効不足であることがわかっていた.薬効不足は臨床試験の設計に問題があったか,そもそも創薬標的の選択に問題があったかのどちらかである.創薬標的の正しさを創薬研究段階で確かめるための最善の策は初代培養細胞などの生体機能が反映された細胞を用いて遺伝子機能の探索・評価を行うことであることはおおむね理解されていたが,技術的なハードルが高かった.筆者らの遺伝子導入技術にそのハードルを下げる価値があることが製薬企業に受け入れられ,技術移転に至った.
翻訳機能と調整機能は誰が担うのか.筆者らのケースでは,翻訳機能を果たしたのは筆者と元製薬企業の研究所長で筆者らのベンチャー企業の社長であった(4)4) 増田一之:“ハイテクベンチャーと創業支援型キャピタル”,学文社,2006, pp. 52–68..調整機能はベンチャー企業の社長と技術移転先の製薬企業の所長,製薬企業とベンチャー企業のそれぞれの部長,ならびに現場の研究者同士が会社同士,それぞれの社内の利害調整を担当した.複数の調整役の連携によって必要十分な機能になった.筆者らのケースから学べることは,翻訳機能と調整機能は一人のICが担う必要はないということである.ただし,協業すべき人材と巡り合うのに十分な人脈をもっていることはIC業務を担える条件と言えるであろう.
誰に何を橋渡しするのか.「橋渡し」にはマーケッティング(市場ニーズを把握すること)とターゲッティング(具体的な企業を見定めること)が必要である.これは業界のバリューチェーンを理解しないと見えない.バリューチェーンは原料,加工,製品組み立て,輸送,活用まで含めた産業を成立させるために必要な構造を言う.たとえば,iPS細胞を誘導する原理が明らかになってもiPS細胞の産業は生まれない.iPS細胞のもとになる細胞リソースの確保,iPS細胞に誘導するための試薬,iPS細胞を増やし,維持,保存するための製品やサービス,細胞を輸送するための製品やサービス,iPS細胞から必要な細胞を誘導するための試薬,製品,サービス,細胞の利用に必要な製品やサービスなどが利益の出せる持続可能な事業として成立して,初めてiPS細胞の産業が成り立つ(図4図4■iPS細胞の産業化に必要なバリューチェーン).
バリューチェーンを描くと研究成果のユーザーと技術移転先が見える.「橋渡し」においては新産業のバリューチェーンがいかなる構造によって成り立つか,バリューチェーンを構成する要素に不足はないか,一つひとつが利益を出せる事業として成立するか,また,成立しないとすれば何が原因かを準備段階として分析する.その結果,誰がなぜ困っているのかが明らかになる.実際,産総研ではバリューチェーンを完成させるために,iPS細胞を含む幹細胞の大量培養技術(5)5) 脇谷滋之,田原秀晃,中嶋勝巳,蓮沼仁志,下平滋隆,小野寺雅史,植村寿公:Synthesiology, 6, 198 (2013).,幹細胞の品質管理に必要な技術(6)6) 平林 淳:Synthesiology, 7, 105 (2014).が機械メーカーや試薬メーカーと共同開発され,それぞれ技術移転された.いまだバリューチェーンは発展途上であるが,iPS細胞は製薬企業を最終ユーザーとして市場が広がりつつある.
ベンチャー創出も「橋渡し」の手段である.バリューチェーンの構成要素が潜在的に欠如している場合はベンチャー企業を創出することも検討する.産総研が糖鎖の医療応用を産業化するためのバリューチェーンを検討した結果,糖鎖の構造解析がボトルネックになっていることが明らかになった(図5図5■糖鎖診断薬のバリューチェーン).
産総研は独自の糖鎖構造解析技術を応用して専門家でなくても扱える糖鎖解析システムを製品化した(8)8) 亀山昭彦,菊池紀広,中家修一,船津慎治:Synthesiology, 8, 200 (2015).が,技術移転先が見つからなかった.そこで,糖鎖解析システムを普及させるベンチャー企業を創り市場導入した結果,ボトルネックの解消が進み,続いて糖鎖と疾患の関係についての知見が蓄積され,糖鎖マーカーを使った診断薬がメーカーによって開発されるに至った(8)8) 亀山昭彦,菊池紀広,中家修一,船津慎治:Synthesiology, 8, 200 (2015)..
「橋渡し」の型はさまざまである.産総研における過去15年間になされた数多くの橋渡しから先に紹介した生命工学領域の各事例のマーケッティングやターゲッティングを誰が担ったかを見るだけでも多様性がわかる.たとえば,iPS細胞の産業化に向けた橋渡しにおいてマーケッティングやターゲッティングを担ったのは経済産業省だった.糖鎖研究の場合は当時のユニット長であった.筆者のケースでは,研究者(筆者)とベンチャーの社長であった.産総研はこの多様性を受け入れ,70名を超えるICの活動から「橋渡し」とICが果たすべき役割の多様性を捉えようとしている.
産総研では第4期中期計画スタート時の企業からの資金提供額の3倍の額を第4期終了時に達成することを目標にしている.産総研が「橋渡し」の仕組みを根本から変えなければ,この目標は達成しえない.産総研の「橋渡し」そのもののイノベーションが求められている.
イノベーションのカギを握っているのはICである.ICが研究者や企業とどのような関係を築くかによって「橋渡し」の構造はおおむね決まる.すでに述べたように,「橋渡し」の翻訳機能と調整機能,さらには翻訳機能において求められる経営的視点と調整機能に求められる人脈をチームとしてどうそろえるか,ICの試行錯誤はしばらく続く.
Reference
1) 経済産業省:20150115広報1号産業技術総合研究所,独立行政法人日本貿易振興機構の中期目標期間終了時における組織・業務全般の見直しについて,http://www.meti.go.jp/intro/koueki_houjin/downloadfiles/ai_07_07.pdf, 2015.
2) 吉川宏之:“本格研究”,東京大学出版会,2009.
3) 三宅正人:Bioベンチャー,4, 22 (2004).
4) 増田一之:“ハイテクベンチャーと創業支援型キャピタル”,学文社,2006, pp. 52–68.
5) 脇谷滋之,田原秀晃,中嶋勝巳,蓮沼仁志,下平滋隆,小野寺雅史,植村寿公:Synthesiology, 6, 198 (2013).
6) 平林 淳:Synthesiology, 7, 105 (2014).
7) 成松 久:Synthesiology, 5, 190 (2012).
8) 亀山昭彦,菊池紀広,中家修一,船津慎治:Synthesiology, 8, 200 (2015).