Kagaku to Seibutsu 55(6): 365 (2017)
巻頭言
リオ五輪と大学教員
Published: 2017-05-20
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リオデジャネイロオリンピックでの日本選手の活躍はまだ記憶に新しい.正直言って,オリンピックでの活躍を期待しているとがっかりすることのほうが多く,「いや出ることに意義があるのだ」「ここまで頑張ったのだから褒めてあげよう」と敢えて自分を説得して終わるのが近年のオリンピック観戦であった.ところが何気なく見始めたリオでは幾度となく素晴らしい粘りと諦めないプレーに感動させられた.体操,柔道,卓球,バドミントン,水泳,陸上,テニス,レスリング,重量挙げ等々,日本選手はこんなにもたくましい精神力をもっていたんだっけ.
このような活躍の背景には,さまざまなスポーツ選手育成の取り組みが続けられてきたことがあることは間違いないだろう.オリンピックを目指す選手だけでなく,文部科学省が広く国民一般に対し,ライフステージに応じたスポーツ機会の創造など5つの重点目標を掲げたスポーツ立国戦略を掲げたのは平成22年である.こうした幅広い下地ができ,社会全体が支える青少年の育成環境が整ったなかから,多くの有能な選手が生まれてくるに違いない.
一方で,われわれが属する教育・研究の分野はどうであろうか.大村 智博士,大隅良典博士と「金メダリスト」は輩出するものの,スポーツのような裾野の広がりを見せているであろうか.国立大学では1990年代に大学院重点化政策の名の下,博士課程の定員や教員採用数も増加したが,2001年からの国家公務員削減計画,さらに人件費改革の一環として毎年1%の人件費削減を要請されてきた.2015年度には国立86大学のうち,33大学で定年退職した教員の後任補充が凍結された.北海道大学が「運営費交付金」の減額などによる財政悪化を理由に,教授205人分相当の人件費削減を各部局に求めたことは大きなニュースになった.競争的資金は増えていても期限付きプロジェクトの雇用であり,恒久的なポストにはつながらない.拡大期に採用した若手教員が高齢化し,増加したポスドクが正規雇用の教員ポストを目指す待機群として累積している.こうして少子化の波を待つまでもなく,日本の人口分布の高齢化よりも早く,大学教員層は逆ピラミッドになりつつある.
約20年間ずつ国立大学と私立大学に在籍した身としてさまざまな教育・研究の特徴の違いを感じている.私立大学は講義が主たる業務と言えるため定年教員の補充は速やかに行われるが,慢性的に教員一人当たりの学生数が多く,研究活動に充当できる時間が限られている.それでも私の経験からすると,私立大学こそ研究の裾野を拡げる点では大きな可能性を秘めていると思う.私学の学生は決してオールマイティ型ではないが,時としてユニークな発想で独創的なサイエンスを展開することがある.一方,就職戦線では国立大生に負けて討ち死にしてくることが多く,結果として基礎研究とはあまり縁のない企業へ就職するケースが目立つ.しかし,こういう学生たちが活躍する場を拡げることが,サイエンスの裾野を拡げ,ひいては日本の科学力を底上げすることにつながるのだと思う.
国立も私立も状況はたいへんである.お金をかければ良いというものではもちろんないだろう.しかし,スポーツ選手の育成策が功を奏したように,20年後の金メダリストをサイエンスの分野から輩出するためには,一公務員としか見ない,あるいは一授業担当者としか見ない若手の教員ポストに対する考え方を根本的に変える必要があると痛感する.