Kagaku to Seibutsu 55(6): 385-391 (2017)
解説
地球と分子のレベルで考える[NiFeSe]ヒドロゲナーゼの分子進化タンパク質の分子進化をスパコンで再現する
Molecular Evolution of [NiFeSe] Hydrogenase at the Molecular and Geographic Levels: Computational Resurrection of Proteins Evolution
Published: 2017-05-20
ペンギンは南極に住み,シロクマは北極で暮らしている.アフリカのサバンナにはライオンが君臨し,アジアの密林にはトラが潜む.動植物の種の系統は地理的分布と密接にリンクしており,数十億年の地球史を経たものである.では,目には見えない微生物について種の系統は地理的分布とリンクするだろうか.オランダの著名な植物・微生物学者Baas Beckingの定理(1)1) L.G.M. Baas Becking: “Geobiologie of inleiding tot de milieukunde,” 1934.としてEverything is Everywhere, but the Environment Selects. という有名な警句がある.その定理は,微生物は地球上のあらゆる場所に普遍的に存在しているが,環境に適応した種がそのなかから優占的に増殖するという意味である.この教義によれば,微生物はコスモポリタンであり,一見,地理的な分布と見えるものも単に優占種を選択した環境の違いが反映されたものだということになる.このロジックから「培養して分離した微生物の地理的由来を議論しても意味はない」ということになり,さらに極論として「微生物なんて,どこで採取しても同じ」とまで言われるゆえんである.
© 2017 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2017 公益社団法人日本農芸化学会
Baas Beckingの定理の出所は何だったのか.微生物から植物分類学に及ぶ広い学識,米国ジャックレーブ海洋研究所の所長として極限環境微生物の研究に深くかかわった職歴などから,この定理が地球規模での微生物生態研究から導かれたと連想されている.しかしde Witの科学史考証によると,この言葉は,盟友ベイエルリンク(オランダ・デルフト大学)が記述したミルクを培地とした集積培養の膨大なデータがあまりに冗長だったので,友人のために端的な表現を提供したものらしい.それが原典オランダ語による“alles is overall: maar het milieu selecteert”という記述であり,逆説の接続詞maarのもつニアンスをくめば「あらゆる微生物が居たとしても,条件によって増殖する菌が変わる」という意味だったのではないかとされている(2)2) R. de Wit & T. Bouvier: Environ. Microbiol., 8, 755 (2006)..
今日,さまざまな微生物のゲノムDNAが続々と解読されてデータベースに公開されている.ゲノムレベルで微生物種とその系統を俯瞰すれば,この古い教義に挑戦できるのではないか.そのような新たな研究潮流が注目されている.応用微生物学は,研究室の中だけの小さな世界に終始しがちであるが,Baas Beckingが提唱したような地球規模で微生物や植物の生態を考察するGaia(ガイア)の枠組みで考えてみたい.
呼吸とは,栄養分からかき集めた還元当量(電子)を,呼吸鎖に流して小出しにエネルギーを捻出してATPを産生しながら,最終的に電子を酸素に捨てるプロセスである.呼吸の多様性とは,本質的には「電子をどこに捨てるか」という違いである.酸素呼吸を獲得しなかった嫌気生物は,硫黄や窒素の酸化物や金属を電子の捨て場として使っている.回収した還元当量から電子受容体までの電位の落差が大きいほど多くのエネルギーが得られるので,酸化ストレスのリスクを克服した好気生物が,多くのエネルギーを獲得した結果,地球上で栄えたとも言われている.
硫酸還元菌(Sulfate Reducing Bacteria, 以降SRB)は,硫酸を電子の捨て場所とする,とても古い細菌である.硫酸呼吸する生物はかなり古くから地球に棲息していたらしい.オーストラリアの始生代地層に含まれる硫黄の同位体比から34.6億年前には生物,つまり酵素反応による硫酸還元が行われていた物証が残されている(3)3) Y. N. Shen & R. Buick: Earth Sci. Rev., 64, 243 (2004).,16S rDNAに基づく系統解析からDesulfovibrio属の登場は約2~3億年前と算出されている(4)4) L. L. Barton & G. D. Fauque: Adv. Appl. Microbiol., 68, 41 (2009)..今日,SRBは,海底の熱水噴出口付近や油田の中など海中,地中などあらゆる自然環境や,風呂や台所の流しの黒いぬめりや大腸がんや大腸炎の患者腸内からも分離されており,まさにコスモポリタンな微生物群である.
多くのSRBがペリプラズム空間にヒドロゲナーゼという酵素をもつ.これは水素からプロトンへの酸化,またはプロトンから水素への還元を可逆的に触媒する.嫌気的な環境であれば環境からの水素供給もあるので,水素分子を還元当量の供給源として利用するうえで,この酵素は有用である.しかしヒドロゲナーゼは本質的に酸素感受性が高く,酸素存在下では不可逆的または可逆的に失活する.人類社会がこの酵素を水素触媒として工学的に利用するならば,ヒドロゲナーゼの酸素感受性は解決すべき課題となる.
比較的高い酸素耐性をもつヒドロゲナーゼが意外なところから見つかっている.SRBの基準株の一つであるDesulfovibrio vulgarisは石油掘削機を損壊させる腐食バクテリアであり,産油国である米国が中東の石油を買い続けるのは,本菌によって石油掘削機のメンテナンスコストが高くつくことに起因するためといわれる.有害な細菌であるという理由でゲノム解析に供せられた.その結果,D. vulgarisがもつ複数のヒドロゲナーゼ遺伝子の一つがセレノシステイン(Sec)残基(図1図1■UGAコドンをSecに翻訳する仕組み)をもつことが判明した.[NiFeSe]ヒドロゲナーゼは,活性中心のNi-Feを支える4つのCys残基の一つがSecで置換されており,これは失活状態からの速やかな還元的回復に寄与する.セレンを含有するヒドロゲナーゼは旧ソビエト時代のウラル地方の嫌気的マンガン鉱床湖水から分離されたDesulfomicrobium baculatumからも同定されている.
Sec残基は,オパールコドン(UGA)で指定され,Sec専用のtRNASecによって翻訳される(5)5) D. L. Hatfield & V. N. Gladyshev: Mol. Cell. Biol., 22, 3565 (2002).(図1図1■UGAコドンをSecに翻訳する仕組み).tRNASecは,まずL-Serでアミノアシル化され[1],そのtRNA上で水酸基がセレノール基に置換されてSec-tRNAが作られる[2].tRNA上でのSer→Secへの改変はセレノシステイン合成酵素(SelA)が触媒する.Secを指定するオパールコドンと本当の終止コドンはどのように識別されるのかという疑問は,大きな謎であったが,伸長因子(SelB)がオパールコドン下流に形成される特異なステムループ構造に結合して,その複合体がSec-tRNAをUGAに導く仕組みが発見された.伸長因子SelBが複合体形成によりSecへの翻訳を指図している[3].後述するように,これらのRNAやタンパク質の分子間相互作用がSRBの種間系統を考察するうえで重要な手掛がりを提供する(6)6) T. Tamura, N. Tsunekawa, M. Nemoto, K. Inagaki, T. Hirano & F. Sato: Sci. Rep., 6, 19742 (2016)..
ヘテロダイマー酵素[NiFeSe]ヒドロゲナーゼにおいてSecをコードするUGAは大サブユニット遺伝子の終止コドンから僅か数十塩基手前にある.UGAをSecと翻訳する発想がなく,塩基配列を機械的にアノテーションしていれば,見落とすかCys→オパールコドンにナンセンス変異した「壊れたヒドロゲナーゼ遺伝子」とみなされるだろう.しかし意識してアライメントしたならば,[NiFeSe]Haseであることに気づくことができる.筆者が検索した結果,既知の2つを含めて12種類もの[NiFeSe]ヒドロゲナーゼ遺伝子をもつ多様なSRB株が見つかった(図2図2■[NiFeSe]ヒドロゲナーゼのC末端配列の再認識).
D. vulgaris HildenboroughとD. baculatum DSM4028の[NiFeSe]Haseはセレンタンパク質であることが実験的に示されている.それ以外のホモログはオパールコドンをSec残基(U)と翻訳することによって完全長配列を同定することができる.
これらの株が分離された場所を世界地図にスポットするとたいへん面白い.SRBの基準株として広く利用されているD. vulgaris Hildenboroughはその名が示す英国ヒルデンバラからの土壌分離株である.その近縁種であるD. vulgaris Miyazakiは,日本の宮崎県の水田土壌からの分離株であり,Desulfovibrio alaskensis G20は北米西海岸のカリフォルニア州の土壌分離株である.日本,英国,米国からの分離株に系統的に近いSRBが,ヒトの病理検体より分離されたBiolophila wathworthia 3_1_6株とDesulfovibrio piger株である.
セレン含有型ヒドロゲナーゼ遺伝子は,湖水や海などの水圏SRBのゲノムにもコードされている.Desulfovibrio africanus WalvisBay株はリビア海底のH2Sガス噴出口からの分離株であり,Desulfovibrio salexigens株は大西洋を越えた南米大陸の英領ガイアナ共和国の泥からの分離株で,Desulfovibrio hydrothermalisはメキシコ湾の海底からの分離株である.これらとは系統的に大きく異なる3株Desulfobacter postgatei 2ac9, Desulfobacterium autotrophicum HRM2, Desulfotignum phosphitoxidansは,ヨーロッパ大陸を挟んで北海またはアドリア海より分離された株である.この3株は,浅瀬や湖水など,空気にも触れる微好気な環境に生きており,日中は光が差し込むために酸素を発生する光合成生物群とも共存しなければならない.この3株は系統樹的に見てもかなり早い段階でほかのSRBとは分岐したグループとみなされている.
SRBは[NiFeSe]型とともに[NiFe]型ヒドロゲナーゼをコードする遺伝子ももっている.100本近い配列を集めて系統樹を描くと,[NiFeSe]型酵素は[NiFe]型ヒドロゲナーゼから派生した1グループを形成した(図3図3■[NiFeSe]ヒドロゲナーゼの系統樹と分離源の地理的分布図).[NiFeSe]型と[NiFe]型は,独立のヒドロゲナーゼでありながら系統樹が互いに酷似しており,ほとんどパラレルに系統分岐を遂げていた.ヒドロゲナーゼの成熟化過程には3つの鉄硫黄クラスターやNi–Feリガンドを導入する翻訳後修飾,さらにTATシステムを介したペリプラズム空間への移送など多段階の成熟化プロセスがかかわる.[NiFe]型と[NiFeSe]型の2つのパラログ遺伝子が同調して系統分岐しているのは,上記の成熟化因子のいくつかを共有して使ったために,共進化の束縛を受けてしまった可能性が考えられる(6)6) T. Tamura, N. Tsunekawa, M. Nemoto, K. Inagaki, T. Hirano & F. Sato: Sci. Rep., 6, 19742 (2016)..
(A)[NiFeSe]ヒドロゲナーゼの系統グループは[NiFe]ヒドロゲナーゼの系統樹の中に独立したグループを形成する.系統樹の共通祖先139から現存酵素群の間に存在すると予測される中間祖先の塩基配列は,Ancescon(8)8) W. Cai, J. Pei & N. V. Grishin: BMC Evol. Biol., 4, 33 (2004).によって計算された.(96~136の番号で命名)(B)[NiFeSe]ヒドロゲナーゼをもつSRBの分離源をパンゲア大陸に帰属した.近縁関係にある種同士は地理的に近く,大陸の分裂と移動によって同心円状に拡散したと考えられる.
遺伝子やタンパク質の配列情報から高精度なアライメントをとり,進化モデルを想定して系統関係を計算すれば,タンパク質の分子進化を表す系統樹を描くことができる.では,生体高分子の系統関係を,それをもつホストの種の系統関係とみなすことができるだろうか.高等生物であれば,それはある程度許される.しかし,バクテリアなどの微生物では,それは基本的に「不可」である.その理由として,バクテリアでは遺伝子の水平伝播がある.種を越えて遺伝子がごっそり移動する現象は,異種間の接合伝達,ファージが伝播して起こる形質導入,溶菌した死細胞から溶出したDNAを異種細胞が取り込む形質転換によって起こる.さらに微生物の系統解析の難しさは,高等生物よりもはるかに長い時間を経ているために,地球史のある時期において発生した天変地異により,進化や変異がある短期間に集中するために系統関係が大きく撹乱されてしまう点にある.パスツール研究所のGribaldoは,バクテリアの系統解析における上記のような難しさを指摘したうえで,それでも複数のマーカー遺伝子を組み合わせれば,バクテリアでもゲノム間の近縁性,系統関係を種の系統として近似することが可能ではないかと提言しているが,複数のマーカーとは何かを具体的に提案するには至っていない(7)7) S. Gribaldo & C. Brochier: Res. Microbiol., 160, 513 (2009)..
硫酸還元菌の[NiFe]Hase,[NiFeSe]Haseの系統関係から何らかの共進化の制約を受けている可能性があると考察したが,同様に共進化の束縛を受けて系統分化していたのがSec翻訳装置SelA–SelB–SelCであった.これらの遺伝子の系統樹は相似形でありselA, selB, selCそして[NiFeSe]ヒドロゲナーゼ遺伝子はパラレルに系統分化を経てきたことが示された.ここで重要なことは,これら遺伝子群はゲノムのさまざまな場所に広く散在しており,クラスターとして集まっていないことである.よって水平伝播によって種を超えて伝播したものではなく,ゲノムの系統関係を示す複数のマーカー遺伝子群であり,Gribaldoが求めていた複数のマーカー群として使えることが示された.
系統的には近縁の種同士が,地球の半周分もの距離に離れた分離源をもつことは興味深い.そこで,これらの分離地点を2億年前の地球地図に当ててみると,近いものは近くに集まり,パンゲア大陸に局在する3系統グループ(図3(A)図3■[NiFeSe]ヒドロゲナーゼの系統樹と分離源の地理的分布図1–5, 6–9, 10–12の3群)になった.この旧大陸は全球凍結を雪融けさせるほどの大規模な地殻運動によって分断され,現在のヨーロッパを中心に大陸プレートが同心円状に移動したと考えられる.そしてSRBの棲息地も大陸に付随して動いたのである(図3B図3■[NiFeSe]ヒドロゲナーゼの系統樹と分離源の地理的分布図).SRBの地理的分布とは,微生物が分布したのではなく,そのニッチが大陸とともに移動したと考えられる(6)6) T. Tamura, N. Tsunekawa, M. Nemoto, K. Inagaki, T. Hirano & F. Sato: Sci. Rep., 6, 19742 (2016)..
今日,分子進化の研究は,主としてアミノ酸配列など一次構造が考察の対象となっているが,タンパク質は立体構造で考えないと本質的な議論ができない.そこで[NiFeSe]Haseの分子進化を立体構造として復元して環境適応のメカニズムを考察した.系統樹の分岐位置にある中間祖先タンパク質についても塩基配列をANCESCON(8)8) W. Cai, J. Pei & N. V. Grishin: BMC Evol. Biol., 4, 33 (2004).を用いて予測した.[NiFeSe]HaseをゲノムにもつSRBが地球上に分布する過程で,それぞれの棲息ニッチの環境,特に嫌気/好気の致命的な環境変化にどのように適応して分子進化したかを探るために酵素の立体構造の変遷をたどった(6)6) T. Tamura, N. Tsunekawa, M. Nemoto, K. Inagaki, T. Hirano & F. Sato: Sci. Rep., 6, 19742 (2016)..系統樹で互いに近い配列同士は,立体構造も類似性が高く,まさにアンフィンゼンの定理を反映して,タンパク質の立体構造はアミノ酸配列が決定している(図4図4■立体構造で再現した[NiFeSe]ヒドロゲナーゼの分子進化).キャビティを形成するアミノ酸残基やその位置から同一キャビティには同じ番号を振ることで,キャビティの消長を比較できる.最初にセレンを獲得した共通祖先酵素139は136を経て海生と陸生に大きく分岐した.陸生の系統は,腸内細菌SRBと土壌中SRBに分岐した後,土壌中SRBのほうはD. alaskensis G20とD. vulgarisのHildenborough株とMiyazaki株に分岐している.腸内細菌のD. pigerとB. wadsworthiaがもつ[NiFeSe]Haseは閉じたキャビティ構造をもつ.健常な腸内は嫌気的環境ではあるが,大腸炎や大腸がんなど疾病状態では,宿主(腸管)対腸内微生物が拮抗する状況に陥り,結果として活性酸素種が発生して酸化ストレスを生じる(9)9) A. Boleij & H. Tjalsma: Biol. Rev. Camb. Philos. Soc., 87, 701 (2012)..そこでキャビティは閉塞しており突発的に発生する酸化ストレスに備えた構造が示唆されている.地中からの分離株であるD. vulgaris Hildenborough株,Miyazaki株,D. alaskensis G20の[NiFeSe]Haseは,中間祖先115や102から派生しており115で大きく開口したキャビティ5が,分断されて内部キャビティが形成されて,さらに表面から陥没して10と11が形成している.海生SRBがもつような貫通したトンネル状のキャビティではないが,表面から孤立した内部キャビティ構造が特徴である.このような孤立したキャビティはケージ効果をもつため水素ガス分圧が低い環境でも基質を保持する効果が期待できる.
中間祖先酵素は図3図3■[NiFeSe]ヒドロゲナーゼの系統樹と分離源の地理的分布図に表記した命名番号に従う.同一のキャビティは出現順に番号で表記した.共通祖先139から出発して陸生SRBの酵素は実線矢印,嫌気環境の海生SRBの酵素は破線矢印,微好気環境の海生SRBは太い矢印でたどることができる.
海生SRBは,キャビティが発達したタイプ(図3(A)6, 7, 8, 9)と閉鎖した構造のままのタイプ(図3(A)10, 11, 12)に大別され,前者は海底のH2S噴出口など嫌気性が確保された環境から分離されたSRB,後者は酸素存在量が大きい微好気環境からの分離株がもつ酵素として特徴づけられる.分子進化を辿る途中の中間祖先構造がもつキャビティは,その前後で継承されており,連続的なキャビティ構造の拡大または縮小をたどることができる.このような立体構造の変化も,アミノ酸残基の非同義置換を反映したものである.このようにタンパク質の分子進化は配列だけをいくら眺めても見えず,立体構造を復元して初めて本質的な考察が可能になる.
Baas Beckingの定理は,遺伝子の実体がDNAであると認知される以前の学説である.また,彼自身が集めた生物的エビデンスとは藻類や原生動物などの形態観察であった.当然ながら,遺伝子解析に基づく分子系統学からの数々のチャレンジがなされてきた.そもそも,あらゆる微生物が地球に均一に存在するのだろうか.微生物の中で胞子やシストを形成して不適な環境に耐えられるものは比較的少数派であり,たとえ運良く生育可能な環境に移動しても先住種との競合に勝てる保証はない.Sulらは,太平洋と大西洋のそれぞれ北極から南極にかけて緯度の異なる277の地点からサンプルを収集して代表的な17属に絞って多様な種を分離・同定した結果,両極から赤道にかけて緯度が低くなるほど,属と種の多様性が豊富になり,微生物は地球上に均一に存在していないと結論した(10)10) W. J. Sul, T. A. Oliver, H. W. Ducklow, L. A. Amaral-Zettler & M. L. Sogin: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 110, 2342 (2013)..またLeasiらは,動物界紐形動物門に置かれているヒモムシOtotyphlonemertes属個体群について複数の遺伝子群(シトクローム酸化酵素I型,ミトコンドリア16S rDNA, 18S rDNA, 28S rDNA)の分子系統解析を行い,統計的にも有意な地理別クラスターが形成されていることを示した(11)11) F. Leasi, S. C. Andrade & J. Norenburg: Mol. Ecol., 25, 1381 (2016)..では,生物種の分布に地理的要因があるならば定理は覆るのかと言われると,話はそう簡単ではない.Baas Beckingが言ったEnvironment(環境)には地理的障壁も含めて拡大解釈できるし,さらにEverythingには,難培養性生物も含めてこそEverythingなのであって,メタゲノム解析によってこれらの痕跡DNAを検出すれば,DNAレベルではEverywhereにあらゆる微生物が潜んでいるのでないか.という問題が提起されている.
ところでメタゲノム解析で対象になるのは16S rDNAなど特定のマーカー遺伝子ではない.Woeseが提唱した16S rDNA系統解析は,形態や栄養要求性に惑わされず分子構造に基づく画期的な分類法であったが(12)12) C. R. Woese: Microbiol. Rev., 51, 221 (1987).,全く同一の配列をもちながら異種である場合や,同一種でありながら2.5%もの塩基配列の差異が見られる場合もある(13)13) E. Stackebrandt & B. M. Goebel: Int. J. Syst. Bacteriol., 44, 846 (1994)..Halaryらが開発したメタゲノム解析法では,解読されたシーケンスをすべて相互にBLASTにかけて相同性の高い遺伝子群クラスターを形成して,それらの系統関係を描く(14)14) S. Halary, J. W. Leigh, B. Cheaib, P. Lopez & E. Bapteste: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 107, 127 (2010)..この方法では,遺伝子指標として何を見ているのか不明なので,生物的意義を見失うリスクもあるが,恣意的誤謬なしにメタゲノムの内容を概観することができる.Fondiらはこの方法で解析を行った.そしてメタゲノムレベルでは地理的な要因よりも,海水,淡水,寄生ホスト,空中という大まかな環境要因の差異のほうが大きく,地理的な違いはあまりない,つまりBaas Beckingの定理を支持する側の結論に至っている(15)15) M. Fondi, A. Karkman, M. V. Tamminen, E. Bosi, M. Virta, R. Fani, E. Alm & J. O. McInerney: Genome Biol. Evol., 8, 1388 (2016)..分子系統学によってコーナーまで追い詰められたこの古い教義も,Fondiらのメタゲノム解析に救われた形になった.しかし今後もこの定理を巡って地理ゲノミクスからの熱いチャレンジと議論が続いていくことが期待される.
Reference
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