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蛾はコウモリの超音波を嫌がる超音波を利用した防蛾技術の開発

Ryo Nakano

中野

農業・食品産業技術総合研究機構果樹茶業研究部門

Published: 2017-06-20

環境や生物多様性の保全は,持続可能な社会を構築するための世界的な最重要課題の一つである.わが国の農業の場面においても,有機栽培や減農薬栽培などへの関心は高まりつつあり,実際に取り組みが進められているところである.また,これまでの農業は化学合成殺虫剤などのいわゆる農薬に依存してきた面が強いが,同一有効成分を含む農薬の高頻度の使用に起因して農業害虫における殺虫剤抵抗性の発達が顕在化してきた.さらに,日本の農産物の積極的な輸出が図られている昨今,日本よりも一般に低く設定された輸出相手国の残留農薬基準に適合させるためにも,化学合成殺虫剤に代わる病害虫防除技術の開発が必須となっている.

農作物を加害する蛾の仲間は基本的に夜間に飛び回るが,これらはコウモリにとって格好のエサとなる.食虫コウモリは一般に超音波(周波数が20キロヘルツ(1秒あたりの振動回数が2万回)以上のヒトには聞こえない音)を発し,餌となる虫から跳ね返るエコーを手掛かりに虫の位置を高精度に捉え,捕食を成功させる(1)1) H. M. ter Hofstede & J. M. Ratcliffe: J. Exp. Biol., 219, 1589 (2016)..これに対抗するために大部分の蛾は鼓膜器官からなる耳を進化させ,コウモリに食べられないよう,超音波を聞くと逃げ出したり飛ぶのを止めたりする(1, 2)1) H. M. ter Hofstede & J. M. Ratcliffe: J. Exp. Biol., 219, 1589 (2016).2) R. Nakano, T. Takanashi & A. Surlykke: J. Comp. Physiol. A Neuroethol. Sens. Neural Behav. Physiol., 201, 111 (2015)..このような蛾の超音波に対する忌避行動を利用すれば,超音波を人工的に出力することにより,農作物を蛾の被害から守れるものと期待される.微小な蛾を除く約11万5,000種の蛾のうち,85%の種が耳をもっており,たとえばハスモンヨトウ,オオタバコガ,イネヨトウ,マイマイガなどのヨトウガ類,トモエガ類,シャクガ類,メイガ類,ツトガ類など農業害虫となっている多くの蛾が合成超音波を用いた防除の対象となりうる(1, 3)1) H. M. ter Hofstede & J. M. Ratcliffe: J. Exp. Biol., 219, 1589 (2016).3) 中野 亮:植物防疫,66, 300 (2012)..耳をもつ蛾がコウモリの発する超音波パルスを忌避することは古くから知られており,少なくとも1962年には農業上の応用が試みられている(3)3) 中野 亮:植物防疫,66, 300 (2012)..しかしながら,どのような超音波パルスを蛾が最も嫌がるかといった精査はほとんどされておらず,実用化には至っていない.特に蛾のメスが卵を産みに農作物へ飛来する行動を,複数の超音波パルスを用いて阻害する観察例はなく,合成超音波を利用した防除技術の開発は停滞しているのが現状であった.そこでわれわれは,コウモリが発する超音波をヒントに作出した人工の超音波を利用し,農業害虫である蛾の農作物への飛来を効率的に阻害する手法の開発に取り組んでいる.

モモノゴマダラノメイガのメス成虫はモモやリンゴ,クリの果実に産卵し,孵化した幼虫が果実を食害する.したがって,メス成虫の果実への飛来を妨げることによって,幼虫による被害を未然に防ぐことができる.蛾を食べるコウモリは,発する超音波パルスの長短に基づいて2種類に大別される(1)1) H. M. ter Hofstede & J. M. Ratcliffe: J. Exp. Biol., 219, 1589 (2016)..そこで,それぞれに対応する「短い超音波パルス(モモジロコウモリ類の超音波を模倣した長さ5ミリ秒と無音区間11ミリ秒を組合せた超音波パルス)」と「長い超音波パルス(キクガシラコウモリ類の超音波を模倣した長さ30ミリ秒と無音区間30ミリ秒を組合せた超音波パルス)」をソフトウェア上で合成し,蛾に聞かせた(図1図1■モモノゴマダラノメイガのメスが嫌う超音波パルス).ここでは,いずれの超音波も,モモノゴマダラノメイガの聴覚感受性が高い周波数の50キロヘルツのみで構成されたパルスを用いた.モモノゴマダラノメイガを対象にした試験では,風洞装置内で,風上に置いたリンゴの幼果に15分間に飛来したメス成虫の割合(飛来率)を比較した(図1図1■モモノゴマダラノメイガのメスが嫌う超音波パルス).超音波パルスを提示しない条件における飛来率は64%であったのに対し,短い超音波パルスを聞かせた場合には28%,長い超音波パルスの場合には10%に飛来率が低下した(図1図1■モモノゴマダラノメイガのメスが嫌う超音波パルス).超音波を聞かせなかった場合と比べ,長い超音波パルスを聞かせた場合は飛来率が1/6以下に抑制されており,超音波による蛾への高い忌避効果が確認された(4)4) R. Nakano, F. Ihara, K. Mishiro, M. Toyama & S. Toda: J. Insect Physiol., 83, 15 (2015).

図1■モモノゴマダラノメイガのメスが嫌う超音波パルス

キクガシラコウモリ類の発する超音波パルスの時間構造(パルスと無音区間の長さ)を模して合成した“長い超音波パルス”は,モモノゴマダラノメイガのメスが卵を産みにリンゴ果実へ飛来する行動を高効率で阻害する.

超音波を忌避する行動は多くの蛾で見られるため,上述のほかの蛾類害虫への適用拡大が期待される.その一方で,種内でのコミュニケーションに超音波を利用する蛾も多数あることから,防除に適切な超音波パルスの長さなどの検討には注意を要する(2, 5)2) R. Nakano, T. Takanashi & A. Surlykke: J. Comp. Physiol. A Neuroethol. Sens. Neural Behav. Physiol., 201, 111 (2015).5) R. Nakano, F. Ihara, K. Mishiro, M. Toyama & S. Toda: Proc. Biol. Sci., 281, 20140840 (2014)..また,超音波は大気中で遠くまで伝わりにくいため,果樹園のような開放空間では十分な効果を得るために多数の超音波発生装置の設置が必要となる.そのため,経済的に導入することはそれでは困難と考えられる.そこで,蛾類害虫の侵入経路が限定されるビニールハウスなど,超音波発生装置の設置台数が少数でも農作物への飛来を抑制可能な生産環境での利用を検証している.具体的には,施設栽培におけるイチゴやトマトの主要害虫であるハスモンヨトウ,さらには加工食品などで混入事例が報告されている貯穀害虫のノシメマダラメイガなどを対象として,忌避効果の高いパルスと無音区間の長さを探索している.また,蛾の種類によって聞こえやすい周波数が異なることから,これらも含めた最適化を進めている.現在,本手法に適した超音波発生装置の開発を産学官連携で進めており,数年以内に製品化する予定である.

本研究は内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「次世代農林水産業創造技術」,日本学術振興会科学研究費(若手B 23780053)の支援により実施された.

Reference

1) H. M. ter Hofstede & J. M. Ratcliffe: J. Exp. Biol., 219, 1589 (2016).

2) R. Nakano, T. Takanashi & A. Surlykke: J. Comp. Physiol. A Neuroethol. Sens. Neural Behav. Physiol., 201, 111 (2015).

3) 中野 亮:植物防疫,66, 300 (2012).

4) R. Nakano, F. Ihara, K. Mishiro, M. Toyama & S. Toda: J. Insect Physiol., 83, 15 (2015).

5) R. Nakano, F. Ihara, K. Mishiro, M. Toyama & S. Toda: Proc. Biol. Sci., 281, 20140840 (2014).