Kagaku to Seibutsu 55(9): 644-650 (2017)
プロダクトイノベーション
香気分析の網羅性向上の鍵3軸ロボット型システムの活用
Published: 2017-08-20
© 2017 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2017 公益社団法人日本農芸化学会
食品などに含まれる香気の分析では,微量の揮発性成分を対象とするため,古くからガスクロマトグラフィー(GC)が用いられてきた.通常は,試料の前処理操作により揮発性成分を抽出,濃縮し,そのごく一部をGCで分析するが,十分な感度を得るためには多くの試料を必要とする.また,GC分析に悪影響を与える不揮発性成分の除去などには,熟練者であっても多大な労力と時間が必要となる.そのため,試料前処理のスケールをミニチュア化し,抽出した揮発性成分を効率良くGCへ導入する種々の手法が開発されている.ミニチュア化した試料前処理法の中には,全工程を自動化しGCにオンラインで導入可能なものもあり,香気分析における代表例としては,ヘッドスペース(HS)法が挙げられる.HS法では,試料バイアル中の気相部分(ヘッドスペース)に移行した揮発性成分のみをGCに導入するため,不揮発性成分の影響がなく,有機溶媒も使用しない.HS法は,試料とHS間で揮発性成分の分配を平衡状態とした後,サンプリングを行うスタティックHS(SHS)と,HS相あるいは試料相(水系試料)に連続的にパージガスを流し,試料からHSへ揮発性成分を移行させながらサンプリングを行うダイナミックHS(DHS)に大別される.SHSでは,GCへの導入量が少ないため(通常0.1 mL以下),感度的な制限が大きいものの,ヒトが鼻腔から感じる香気(オルソネーザル,トップ~ミドルノート)の組成に近い分析が可能となる.DHSでは,パージガスによるHS相の捕集管への濃縮を伴うため,ヒトが咀嚼中に口腔から鼻腔にぬける香気(レトロネーザル,ミドル~ベースノート)に含まれるやや揮発性が低い成分も対象となる.SHS/DHSの装置は,GCの初期からさまざまなタイプのものが市販されているが,HSとGCの接続部(トランスファーライン),およびHS装置内の回転バルブ部における一部成分の損失が問題として指摘されてきた.長いトランスファーライン(1 m以上)や回転バルブ内の試料経路では,温度勾配や活性部位が生じやすく,特にレトロネーザルへの寄与が大きい揮発性の低い極性基をもった香気成分の損失が発生しやすい.それゆえ,DHSのサンプリングを自作デバイスによるマニュアル操作で行い,GCへの導入を加熱脱着装置などで行う“オフラインDHS”も根強く使用されている.このような背景から,3軸ロボット型の多機能オートサンプラーと小型の加熱脱着装置を組合せたDHSシステムを開発し,その短い試料経路とバルブレスの構造がレトロネーザル香気の分析にも威力を発揮している.本稿では,この次世代DHSシステムによる食品中の香気成分の網羅的分析法の開発について紹介する.
『HS-GC分析の熟練者には,従来のDHS装置よりも古典的なオフラインDHSのほうが好まれている』.長年にわたるこの歯痒い状況に対して,3軸ロボット型オートサンプラーによる小型加熱脱着装置の開発を終えて間もないドイツGERSTEL社は,オランダの顧客,および代理店との会話からオフラインDHS用の周辺装置の3軸ロボット化の構想を得た.そして,その数カ月後の2006年前半,筆者は3軸ロボット型オートサンプラーに装着する前段階のプロトタイプによる測定の機会を得た.このとき,従来のHS装置では安定した検出が難しいと感じていたチーズ中の脂肪酸類,フェノール類,インドールなどの顕著なピークが得られたことにより,ついに回転バルブ,長いトランスファーラインと決別した次世代のDHSシステムが登場するという実感を得た.
本DHSシステムは,主に3軸ロボット型の多機能オートサンプラー, DHSモジュール,加熱脱着装置{GC注入部の昇温気化型(PTV)注入口に装着}で構成される(図1図1■3軸ロボット型多機能オートサンプラーを用いたDHS-GC-MSシステム).多機能オートサンプラーのインジェクションユニットは,レール上を任意に移動し,試料バイアルや吸着捕集管を,試料トレイ,DHSモジュール,加熱脱着装置に運ぶ.この3軸ロボットの動きにより,あたかもヒトの代わりにオフライン的なDHSを行い,サンプリング後の捕集管をすぐに加熱脱着装置に挿入することができる.そのため,マニュアル操作並に短い試料経路(約3 cm)を達成し,従来の装置の弱点であった試料経路における温度勾配や活性部位の問題を克服した.また,サンプリングごとに捕集管の交換が可能なため,連続分析における異なる捕集管の使用や前回のサンプリングに由来するメモリーの影響を解消することがでる.さらに,一つの試料に対して異なる捕集管による複数のサンプリング条件を組み合わせることが可能なため,より網羅的な分析が期待できる.多機能オートサンプラーは通常の液体注入に加え,シリンジ式SHS,固相マイクロ抽出(SPME)も自動化でき,加熱脱着装置と組み合わせることにより,大量注入(LVI),濃縮を伴うシリンジ式SHSとSPMEも可能となる.
DHSによる食品の香気分析において,メソッドの作成(サンプリング条件の設定)時に留意する点として,①水,発酵食品中のエタノールなどGC分析に影響を与える揮発性主成分の除去,②対象成分の破過容量と加熱脱着効率に見合った捕集管の選択,③サンプリング温度の影響,などが挙げられる.①に関しては,特に任意のサンプリング温度における適切な水分の除去が成功の鍵となる.本DHSシステムでは,サンプリング後の捕集管に一定温度で乾燥ガスを流す古典的な”ドライパージ”を用いるが,このときサンプリング条件(試料温度と捕集温度)に見合った適切なドライパージを行うために,ソフトウエア(LVI Calculator)による理論的なアプローチを行う.すなわち,任意のサンプリング温度,捕集温度,パージガス量における水の気化体積,凝縮時の体積を計算し必要最低限のドライパージ量を推定する.さらに,本DHSシステムで使用するガラス製の捕集管は,長さ約6 cm,外径約6 mmと軽量であり,サンプリングの前後はオートサンプラーのトレイ上にあるため,ドライパージ前後の捕集管の重さを量ることにより,捕集管中の水分の残留量を容易に確認することができる.従来の装置では,装置内に捕集管が固定されていることに加え,試料経路が長いため,水分の再凝縮などによる計算値との誤差が大きく,実際のGC分析による検討が必須であった.②に関しては,一般に揮発性の高い成分(蒸気圧>1 kPa)には多層構造の活性炭系吸着材を充填した捕集管を用い,揮発性が低い(蒸気圧<1 kPa)成分にはポリマー系吸着材を充填した捕集管を用いることが多い.活性炭系吸着材の捕集管では,ポリマー系吸着材の捕集管よりも水分,エタノールの保持が強いため,LVI Calculatorによる推定結果よりも多少余裕をもたせた設定を行う.③に関しては,一般に室温付近(25°C)から80°C程度までを用いるが,サンプリング温度の上昇とともに水分の影響が急激に増すため,室温付近のサンプリング以外ではポリマー系吸着材のTenax TAなどを用いるのが望ましい.また,食品中のアミノ酸,糖などの加熱により香気成分を生成するメイラード反応や配糖体の熱分解は,サンプリング温度が100~110°C以上になると反応が進み始めるため,通常は80°C以下のサンプリング温度を用いる.本DHSシステムには,上記事項を考慮して開発したトップ~ミドルノート用メソッド(BXX1, BXX2, BX),ミドル~ベースノート用メソッド(TX),親水性,極性成分用メソッド(FEDHS, SE-FEDHS)の6つのメソッドがあり,対象成分の範囲,試料形態,試料マトリックスにより適したものを使用する.メソッドBXX1は,3層構造のカーボン系吸着材(Carbopack B/Carbopack X/Shincarbon X)を充填した捕集管を用いて,室温付近(25°C)でサンプリングを行い,非常に揮発性の高いアセトアルデヒド(蒸気圧120 kPa),フラン(蒸気圧79 kPa),ジメチルスルフィド(蒸気圧64 kPa)などのトップノートに対応する.メソッドBXX2は,メソッドBXX1と同じ捕集管とサンプリング温度を用いるが,パージ量とドライパージ量を増やすことにより,蒸気圧20 kPa以下のトップノートから蒸気圧1 kPa程度のミドルノートまで対応する.メソッドBXは,2層構造のカーボン系吸着材(Carbopack B/Carbopack X)を充填した捕集管を用いて,室温付近(25°C)でサンプリングを行い,発酵食品などに含まれる高濃度のエタノールを破過させ,蒸気圧20 kPa以下のトップノートから蒸気圧1 kPa程度のミドルノートまで対応する.メソッドTXは,ポリマー系吸着材(Tenax TA)を充填した捕集管を用い,比較的高めの温度(60~80°C)でサンプリングを行い,蒸気圧1 kPa以下のミドルノートからベースノートに対応する.メソッドFEDHSは,Tenax TAを充填した捕集管を用いて,少量(100 µL以下)の水系試料に対して80°Cでサンプリングを行い,水分を全量気化させることによって,低揮発性の親水性,極性成分であるフラネオール(蒸気圧0.000077 kPa,水–オクタノール分配係数log Pow 0.82),マルトール(蒸気圧0.0000057 kPa, log Pow −0.19),クマリン(蒸気圧0.000088 kPa, log Pow 1.51),バニリン(蒸気圧0.000060 kPa, log Pow 1.05)などに対応する(メソッドFEDHSについては次項で解説).メソッドSE-FEDHSは,溶媒抽出後の抽出液(1 mL以下)に対してメソッドFEDHSを行う手法で,水系試料に加えて固体試料にも対応する.表1表1■DHSシステムの代表的なメソッドにメソッドの種類と特徴を示した.
DHSメソッド | 捕集管 | 試料温度 | 特長 |
---|---|---|---|
BXX1 | Carbopack B & X Shincarbon X | 25°C | トップノート(蒸気圧>20 kPa) |
BXX2 | Carbopack B & X Shincarbon X | 25°C | トップ~ミドルノート(蒸気圧<20 kPa)破過容量>BX |
BX | Carbopack B & X | 25°C | トップ~ミドルノート(蒸気圧<20 kPa)発酵食品 |
TX | Tenax TA | 60–80°C | トップ~ミドルノート(蒸気圧<1 kPa)発酵食品 |
FEDHS | Tenax TA | 80°C | 親水性,極性成分,発酵食品 |
SE-FEDHS | Tenax TA | 80°C | 有機溶媒抽出液,親水性,極性成分,発酵食品 |
従来のSHS/DHSによる水系試料の分析では,試料バイアル(通常10~20 mL)内における試料体積とHS体積の比(相比)が比較的小さい.そのため,HS相には揮発性が高い疎水性の成分が移行しやすいものの,揮発性が低い親水性,極性の成分は移行しがたい.サンプリング温度を上げることにより改善はされるものの,前項にも挙げたフラネオール(カラメル様),マルトール(カラメル様),バニリン(バニラ様)などの成分はHS相への移行が非常に難しい.したがって,得られたデータには揮発性が高い疎水性の香気成分が強く反映されやすく,揮発性が低く親水性,極性の香気成分は反映されにくい.そのため,これらの成分の分析には,HS以外のほかの抽出・蒸留法を用いる場合が多い.
1993年にMarkelov博士とGuzouski博士が開発したFull Evaporation Technique(FET)(1)1) M. Markelov & J. P. Guzowski Jr.: Anal. Chim. Acta, 276, 235 (1993).では,水系試料の体積を数µLまで小さくし(相比を極端に大きくした状態で),100°C以上でのサンプリングを行う.そのため,ほとんどの水分が気化して,揮発性が低い親水性,極性成分の回収率が格段に向上する.しかし,FETは極端に試料量を小さくしたSHSとほぼ同じであり,濃縮を伴わずにGCへのスプリット導入を行うため,実際のHS導入量は非常に少ない(0.1 mL).試料マトリックスの影響が少なく,親水性,極性成分を含めた均一な回収率が得られるという利点があるものの,感度的には古典的な液体注入(スプリット)と同程度である.そのため,SHS的なFETの実際試料への応用は工業廃水などごく一部に限られ,香気分析とはほぼ無縁の手法であった.本DHSシステム登場後の2009年後半,ドイツGERSTEL社のAndreas Hoffmann氏(文献3, 4, 6の共著者)が,その試料経路と排気経路の短さに着目し,水系試料のFETのDHS化に着手し始め,溶媒で希釈したシャンプーなど消費剤試料10 µLの全量導入に成功した(2)2) A. Hoffmann, O. Lerch & V. Hudewenz: GERSTEL AppNote, 8/2009 (2009).(Hoffmann氏は,90年代にHewlett Packard社/現Agilent Technologies社が主催したGCワークショップなどでMarkelov博士と交流があったため,“忘れ去られていたFET”の原理をよく覚えていたとのこと).翌年,筆者らが検討に加わり,飲料中の親水性,極性の香気分析を目的としたFull Evaporation DHS(FEDHS)の開発を始めた.FEDHSにおける水系試料量は,パージ中に捕集管に凝縮する水分量,およびDHSシステム内の排気効率を検討し,100 µLを上限とした(3)3) N. Ochiai, K. Sasamoto, A. Hoffmann & K. Okanoya: J. Chromatogr. A, 1240, 59 (2012)..図2図2■FEDHSの操作フローにFEDHSの操作フローを示した.
最近のGC-質量分析計(GC-MS)の全イオンモニタリングにおける検出感度では,単一成分として100 pg以上導入できれば,ほぼ十分な定性情報が得られやすい.よって,FEDHSにより100%近い回収率が得られ,GC-MSへの全量導入を行うと仮定すると,親水性,極性の香気成分1 ppb(100 pg/100 µL)の全イオンモニタリングが可能となる.18種の香気成分(各成分100 ng/mL)をモデルとした水試料への添加回収試験では,log Pow −0.31~4.79,蒸気圧0.0015~0.39 kPaの全成分の回収率が92~111%となり,GC-MSの全イオンモニタリングにおける検出下限値は,0.21~5.2 ng/mLとなった.FEDHSとGC-MSによる熟成後のシングルモルトウイスキー100 µLの分析では,従来のDHSと比べて,親水性,極性の香気成分である炭素鎖4~6の脂肪酸類(蒸気圧0.037~0.22 kPa, log Pow 1.07~2.05),フェノール/グアイアコール類(蒸気圧0.00051~0.033 kPa, log Pow 1.34~2.65),バニリン(蒸気圧0.000060 kPa, log Pow 1.05)などを顕著に検出し,14~420倍の面積値の向上が得られた.
FEDHSでは,揮発性が低い親水性,極性成分も高い回収率が得られるため,思いがけない試料導入量の過多によるGC注入口,GCカラム,MSなどへの負荷を引き起こすことがある.たとえば,蒸留直後(樽熟成なし)のウイスキー100 µLをFEDHSで分析すると,ジオール系の化合物などがカラムの負荷量を超える場合があるため,WAX系のカラムでは保持時間が大きく動いてしまう.また,通常のカラム焼き出し操作などでは抜けきらない蒸気圧の低い極性成分も導入されるリスクがあるため,カラムバックフラッシュ機能を用いたり,無極性カラムを用いたりするなどの配慮も必要となる.測定の経験がない試料の場合,まずは10 µL以下の試料量でのスクリーニング分析を行いたい.
本DHSシステムを用いた食品の香気分析においては,上記6つのメソッドを適宜使い分けることにより,高感度化とともに網羅性の向上も期待できる.しかし,トップ~ミドル~ベースノートに寄与するすべての成分を対象とする場合は,少なくとも3つのメソッドによる測定が必要となり,たとえば,飲料など水系試料の場合,トップ~ミドルノート用にメソッドBXX2,ミドル~ベースノート用にメソッドTX,親水性,極性成分用にメソッドFEDHSなどを用いる.オルソネーザル,レトロネーザルに寄与するそれぞれの成分を詳細に調べる場合などは,これらのメソッドを個別に用いるアプローチが向いているが,試料中の揮発性成分全体の特徴を捉えて,統計的な解析を行う場合などは,1回の分析においてできるだけ多くの成分を対象とするメソッドが望ましい.化学分析においても多変量解析ソフトウエアによるデータ解析が主流となり,分析結果における試料の網羅性をより意識し始めたある日,『目的別のDHSメソッドをまとめて1回でGC-MS分析すると良いのでは?』,『それなら,試料量を100 µLにして,一つの(試料)バイアルにメソッドを続けて,最後にFEDHSで(試料バイアルを)カラカラにしよう』というラボでの会話が発端となり,Multi-Volatile Method(MVM)(4)4) N. Ochiai, J. Tsunokawa, K. Sasamoto & A. Hoffmann: J. Chromatogr. A, 1371, 65 (2014).の開発に至った.MVMは,一つの試料に対して複数のメソッドを用いる手法で,異なるDHSメソッドによる連続的なサンプリングを行った後,使用した捕集管すべてを加熱脱着してPTV注入口に再濃縮する.そして,最後にPTV注入口から全量導入してGC-MS分析を行うため,1回の分析においてトップ~ミドル~ベースノート,および親水性,極性成分を対象とすることができる.基本的には試料形態によらず,メソッドの組み合わせを任意に設定することができるが,飲料など水系試料の場合は,3つのDHSメソッドによる連続サンプリングを採用した.試料量は100 µLとして,まず25°CでメソッドBXX1によるトップノートのサンプリングを行い,次に同じ温度のままメソッドBXX2によるミドルノートまでのサンプリングを行う,そして,最後に試料温度を80°CとしてメソッドFEDHSによるベースノート,および親水性,極性成分のサンプリングを行う.その後,サンプリング時とは逆の順番に3つの捕集管を加熱脱着し,GC-MSへの導入を行う.サンプリング後の試料バイアル中の水分は完全に気化し,ほとんどの揮発性成分がパージされているため,バイアル内の残渣を嗅いでみるとほとんど匂いがしないことが多い.図3図3■MVMの操作フローにMVMのサンプリング,および加熱脱着のプロセスを示した.
MVMの発案からすぐに検討を開始したものの,装置制御のソフトウエアには目的に見合ったメニューがなかったため,当初はGC-MSの空分析を含めた複雑かつ非効率なプログラムを要した.しかし,非効率な分析にもかかわらず,その後数日でMVMの特長を証明するデータが得られたのは印象深い.21種の香気成分(各成分100 ng/mL)をモデルとした水試料への添加回収試験では,蒸気圧20から120 kPaの成分は1段目のメソッドBXX1,蒸気圧1から20 kPaの成分は1段目のメソッドBXX1と2段目のメソッドBXX2,蒸気圧1 kPa以下の成分は3段目のメソッドFEDHSを加えた全メソッドにより,回収率94~111%に到達した.すなわち,トップノートからベースノートに関連する幅広い香気成分をほぼ均一に回収することが可能であった.MVMとGC-MSによるコーヒー100 µLの分析では,デコンボリューションソフトウエア(NIST AMDIS)と質量スペクトルライブラリーを用いた解析により,658成分相当のピークを選別した.さらに,この658成分に香気成分データベース(Aroma Office 2D)(5)5) K. MacNamara, N. Ochiai, K. Sasamoto, A. Hoffmann & R. Shellie: GERSTEL AppNote, 183 (2016).を適用し,コーヒーの香気分析の文献に記載の67成分とそのほか15成分を仮同定した.コーヒーなど飲料中の香気成分を定量する場合,従来のSHS/DHSでは,試料中のマトリックスによる回収率への影響が大きいため,標準添加法を用いる場合が多い.一方,試料量が極端に少なく水分も完全に気化してしまうMVMでは,試料中のマトリックスの影響が少ないため,対象成分によっては,外部標準法による定量分析が期待できる.そこで,コーヒー試料から仮同定した香気成分のうち30成分を選択し,標準添加法による定量値と外部標準法による定量値を比較した.その結果,蒸気圧0.015 kPaのグアイアコールから120 kpaのアセトアルデヒドまでの24成分では,試料マトリックスの外部標準法への影響は少なく,2つの手法による定量値の差が±20%以内となった.一方,蒸気圧0.000060 kPaのバニリンから0.0057 kPaの4-エチルフェノールまでの6成分では,外部標準法による定量値が標準添加法の値の60~70%となり,試料バイアルに残った不揮発性残渣の影響が示唆された.また,30成分の標準添加法による定量値は,4-エチルフェノールの33 ng/mLからアセトアルデヒドの4,300 ng/mLとなり,五重測定による無添加試料の再現性は相対標準偏差(RSD)10%以下であった.揮発性が低い一部の成分には,標準添加法による補正が必要なものの,多検体の試料をスクリーニング的に定量分析する場合などは,MVMと外部標準法の組み合せが威力を発揮すると考えらえる.
水系試料のMVMにおける試料量の上限は,3段目のサンプリングにメソッドFEDHSを用いる場合100 µLとなる(4)4) N. Ochiai, J. Tsunokawa, K. Sasamoto & A. Hoffmann: J. Chromatogr. A, 1371, 65 (2014)..試料量を100 µL以下とすると,感度的な制限はあるものの,試料バイアル(通常10~20 mL)内における試料相とHS相の相比をかなり大きくすることができるため,メソッドBXX1/BXX2による室温付近(25°C)のサンプリングにおいて,トップ~ミドルノートに関連する親水性,極性成分の回収率が向上する.また,メソッドFEDHSにおける水分の完全気化も早く進行するため,ベースノートに関連する親水性,極性成分の回収にも貢献する.コーヒーなど比較的香気成分に富む試料(各成分の濃度が数ppb~数ppm)の場合は,試料量が100 µLのMVMで主要な成分の全体像を容易に把握することができる.しかし,コーヒーに比べると香気成分の濃度が低い(~数十分の1)茶系試料などの場合は,一般的なGC-MSの全イオンモニタリングでは感度の不足が否めない.そこで,緑茶など香気成分濃度が低い水系試料にもMVMを適用するため,本DHSシステムの排気系に真空ポンプを加えた仕様による試料量1 mLのMVMを検討した(6)6) N. Ochiai, K. Sasamoto, J. Tsunokawa, A. Hoffmann, K. Okanoya & K. MacNamara: J. Chromatogr. A, 1421, 103 (2015)..まず,2層構造のカーボン系吸着材(Carbopack X/Shincarbon X)を充填した捕集管2本を用いて,真空ポンプは作動せずに室温付近(25°C)で2段階のサンプリングを行い,トップ~ミドルノートを回収する(ここで用いる捕集管はメソッドBXX1/BXX2で使用する捕集管よりも破過容量が大きい).次に,試料バイアルを80°Cまで加熱し,Tenax TAを充填した捕集管3本を用いて,真空ポンプを作動したメソッドFEDHSを行い,ベースノート,および親水性,極性成分を回収する.100 µLのMVM評価に用いた21種のモデル香気成分の添加回収試験では,17成分の回収率が88~101%となり,アセトアルデヒド,ダイアセチル,β-ダマセノンら3成分の回収率は67~71%,プロパナールの回収率は44%となった.最も回収率の低いプロパナール(蒸気圧42 kPa, log Pow 0.33)に関しては,試料量の増加に伴い相比が10分の1になったことから,HS相への移行が抑制され,より多くのパージ量が必要となったものの,試料相からの回収率が40%付近において捕集管の破過が発生したためと推測される.真空ポンプを組み合わせた5段階サンプリングのMVMとGC-MSによる緑茶1 mLの分析では,デコンボリューションソフトウエア(NIST AMDIS)と質量スペクトルライブラリーを用いた解析により,329成分相当のピークを選別した.さらに,この329成分に香気成分データベース(Aroma Office 2D)を適用し,緑茶の香気分析の文献に記載の39成分とそのほか11成分を仮同定し,標準品により24成分を同定した.標準添加法による24成分の定量値は,2,3-ジメチルピラジン0.86 ng/mLからフラネオール320 ng/mLとなり,三重測定による無添加試料の再現性は相対標準偏差(RSD)10%以下であった.また,試料量100 µLの3段階サンプリングのMVM(真空ポンプなし)との感度の比較では,定量した24成分において3.4~15倍の面積比の向上が得られた.香気成分の濃度が低い茶系飲料の場合などは,まず代表的な試料を試料量1 mLのMVMとGC-MSの全イオンモニタリングにより定性分析を行い,主要な対象成分を選択する.そして,多検体の試料には,試料量100 µLのMVM(真空ポンプなし)とGC-MSの選択イオン検出による定量分析を行う.これにより,定性分析における網羅性と感度の向上,定量分析における試料スループットの向上, および(対象成分によっては)外部標準法による定量操作の簡略化も期待できる.
3軸ロボット型オートサンプラーと小型の加熱脱着装置を組み合わせたDHSシステムの登場により,従来のHS法では難しかった香気成分の網羅的分析が可能となった.その要因としては,FETの感度と実用性を一気に高めたFEDHSの開発が最も大きく,従来のHS法では原理的に難しかった微量の親水性,極性の香気成分のデータも得られるようになった.また,従来の装置では構造的に難しかった複数の捕集管を(3軸ロボットが運んで)用いることにより,高揮発性から低揮発性までの香気成分を一度に扱えるようになった.2009~2012年開発のFEDHS(3)3) N. Ochiai, K. Sasamoto, A. Hoffmann & K. Okanoya: J. Chromatogr. A, 1240, 59 (2012).から5年,2013~2014年開発のMVM(4)4) N. Ochiai, J. Tsunokawa, K. Sasamoto & A. Hoffmann: J. Chromatogr. A, 1371, 65 (2014).から3年が経ち,香気分析の現場における本DHSシステムの活躍を感じる場面もあるが,今後の進展が望まれる部分もまだまだ多い.たとえば,トップノート用の捕集管については,より破過容量が大きく,疎水性が高く,発酵食品中のエタノールの影響が小さいものが理想的であるし,一部の食品には,より低い温度でのFEDHSが必要となる場合もある(現在は60°C以下でのFEDHSメソッドを開発中).FEDHS/MVMでは,試料マトリックスの回収率への影響が比較的少ないため,環境汚染物質のモニタリングなどで普及し始めている自動定量用データベースを用いる相対定量法(7)7) H. T. Duong, K. Kadokami, S. Pan, N. Matsuura & T. Q. Nguyen: Chemosphere, 107, 462 (2014).(標準物質を使わず,内部標準物質のみを添加するスクリーニング的な定量分析法)の応用にも期待が高い.
Acknowledgments
FEDHS, MVMの開発,および実用化においてご協力,ご支援いただきました笹本喜久男氏(ゲステル),角川 淳氏(ゲステル),石塚雄貴氏(ゲステル),岡野谷和則氏(伊藤園),Andreas Hoffmann氏(GERSTEL),Kevin MacNamara博士に深謝いたします.
Reference
1) M. Markelov & J. P. Guzowski Jr.: Anal. Chim. Acta, 276, 235 (1993).
2) A. Hoffmann, O. Lerch & V. Hudewenz: GERSTEL AppNote, 8/2009 (2009).
3) N. Ochiai, K. Sasamoto, A. Hoffmann & K. Okanoya: J. Chromatogr. A, 1240, 59 (2012).
4) N. Ochiai, J. Tsunokawa, K. Sasamoto & A. Hoffmann: J. Chromatogr. A, 1371, 65 (2014).
5) K. MacNamara, N. Ochiai, K. Sasamoto, A. Hoffmann & R. Shellie: GERSTEL AppNote, 183 (2016).
7) H. T. Duong, K. Kadokami, S. Pan, N. Matsuura & T. Q. Nguyen: Chemosphere, 107, 462 (2014).