テクノロジーイノベーション

立体嚥下動態シミュレータを用いた食品開発・研究のテクニカル・イノベーションヒトの“飲み込み”を数値的に可視化する

Tetsu Kamiya

神谷

株式会社明治研究本部

Yoshio Toyama

外山 義雄

株式会社明治研究本部

Keigo Hanyu

羽生 圭吾

株式会社明治研究本部

Megumi Takai

髙井 めぐみ

株式会社明治研究本部

Takahiro Kikuchi

菊地 貴博

武蔵野赤十字病院特殊歯科・口腔外科

Yukihiro Michwaki

道脇 幸博

武蔵野赤十字病院特殊歯科・口腔外科

Published: 2017-09-20

はじめに

人の“飲み込み”動作(嚥下)は,食塊と生体器官の高速かつ複雑な変形を伴うため,嚥下中に起きている現象を時間的・空間的に正確に把握することは難しい.食品会社にとって“食べる”もしくは“飲む”ことを正確に把握することは,商品開発をするうえでも非常に重要である.昨今の数値解析ならびにコンピュータ技術の発展により,これまで食品業界では手が届かなかったコンピュータシミレーションが身近な技術となってきた.われわれは「医食工」連携による学際領域の研究として,立体嚥下動態シミュレータ(4-dimentinal swallowing simulation and visualization system,以下SVと記す)の開発を行ってきた.本稿ではSV開発の背景や開発のために必要であった技術的なブレイクスルー,またSVから抽出される情報が今後の食品物性研究や医学の臨床現場に応用できる可能性について述べる.

開発の背景

一般的に,食品を通してお客様に提供する価値としては,食の一次機能である栄養機能,二次機能である嗜好(おいしさ)にかかわる機能,そして三次機能である生体調節機能の3つの機能が考えられる.さらに,四次機能として,食べる機能の障害をもっている方への飲み込みやすさ,食べやすさに関連した機能が考えられる.この四次機能は,障害者を含めて食べることのバリアフリーを目指した,より高い機能と言える.しかしながら,食品の飲み込みやすさや物性面における安全性については,評価する指標が明確でないため議論されることが少ない.

また,日本は総人口の1/4が65歳以上となる,いわゆる超高齢社会に突入している.日本人の死因の第3位は肺炎(1)1) 厚生労働省:平成25年度人口動態統計月報年計(概数)の概況,http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai13/であり,高齢者の肺炎の多くは誤嚥による肺炎と言われている.

誤嚥とは,食品などが食道ではなく気管へ流入することである.誤嚥防止のためには,嚥下のメカニズムや食品物性の違いが嚥下時に及ぼす影響を明らかにする必要があるが,嚥下研究においては,一般に広く行われているマウス,ラットなどを使った動物実験は臨床的意義に疑問がある.また嚥下困難者自身の喫飲による検証で得られた医用画像は,重症度の把握や治療方針の決定などで有効である反面,時間および空間分解能が十分でなく,食塊と生体器官の高速かつ複雑な変形を伴う嚥下運動を詳細に明らかにすることが困難という課題がある.

そこで,嚥下動態を正確に模擬したコンピュータシミュレーションができれば,生体器官の形態や挙動,食品物性の影響などを網羅的に検討することができると考え,立体嚥下動態シミュレータの開発を開始した.

立体嚥下動態シミュレータ開発のために必要な技術的なブレイクスルー

SVの開発では,いくつかの技術的な課題(壁)を解決する必要があった.具体的には,①生体(嚥下動態)のモデル化,②食品(食塊)のモデル化,③生体モデルと食品モデルの統合,そして④モデル化・計算手法や結果の精度検証・妥当性確認技術の構築が必要であった.結果として,技術的な課題であるこれらの4つの独自技術がSVの重要な構成要素となった.以下にそれぞれの4つの課題を解決するための技術開発について説明する.

1. 嚥下動態(生体)のモデル化(2)

生体の静的および動的な形状のモデル化について概要を説明する.SVでは嚥下にかかわる生体の器官を異なる機能を有する4つのオブジェクト(舌,軟口蓋,咽頭(食道含む),喉頭(喉頭蓋と気管も含む))に分割し,各器官が食塊に及ぼす力のタイミングや向きをより視認しやすくした.このオブジェクトについて,それぞれ静的および動的な形状モデルを作成した.図1図1■生体モデルの構築手順(A. 静的モデリング,B. 動的モデリング)に生体モデルの構築手順の概要を示した.上段に示した図1A図1■生体モデルの構築手順(A. 静的モデリング,B. 動的モデリング)は.1.1で説明する静的形状モデルの作成手順,下段に示した図1B図1■生体モデルの構築手順(A. 静的モデリング,B. 動的モデリング)は,1.2で説明する動的形状モデルの作成手順である.

図1■生体モデルの構築手順(A. 静的モデリング,B. 動的モデリング)

1.1 静的形状モデルの作成

生体のモデリングははじめに,CTの断層画像から立体構造を構築し(図1A-a図1■生体モデルの構築手順(A. 静的モデリング,B. 動的モデリング)),ここから骨や空気層を抽出した(図1A-b図1■生体モデルの構築手順(A. 静的モデリング,B. 動的モデリング)).最後に手動で器官を4つのオブジェクトにモデリングした(図1A-c図1■生体モデルの構築手順(A. 静的モデリング,B. 動的モデリング)).この手動でのモデリングは,解剖学的な知識および解釈によって行った.これらの作業は画像処理ソフトウェアMimics(Materialise社)および3D slicer(The Slicer Community)を使用した.

1.2 動的形状モデルの作成

次に嚥下造影(Videofluorography,以下VF)により,時間とともに変化する生体器官形状の情報を抽出し,時間とともに動的に変形する形状モデルを作成した.SVに利用したVF画像は,約30 fps(1秒間に約30枚の画像)のフレームレートで出力されているものを使用した.形状モデルの変形には,コンピュータグラフィクス(以下CG)ソフトウェア3ds Max(オートデスク社)を用いた.

図1B図1■生体モデルの構築手順(A. 静的モデリング,B. 動的モデリング)は動的形状モデル作成手順の一部である.CGソフトウェア上にVFの画像データを埋め込み,形状が重なるようにCGソフトウェア上で手動にて形状を変形させた.CGソフトウェア上に取り込んだ静的形状モデルはマウス操作によって感覚的に変形させることが可能である.さらにCGソフトウェアには時系列のデータ間の生体運動を滑らかに補完することができるモーフィング機能があり,この機能を利用してVF画像のフレームレートの10倍の形状データ(1秒間に約300個の形状データ)を作成した.静的形状と同様に,VFで確認できない部分はcineMRIからの情報や,解剖学的な知識および解釈によって行った.すべてのオブジェクトの動的形状モデルを統合させたものが,嚥下動態モデルである.

2. 食塊のモデル化手法(3)

食塊単体のモデル化であれば,食品そのものが有する物性値(粘度,濃度,密度,表面張力など)を利用すればよい.しかし,食塊の嚥下シミュレーションを行う場合は,食塊単体の物性値だけでなく,食塊と生体の接触表面における相互作用を考慮しなければならない.一般的な化学繊維の表面などは,静的な撥水性が高い(接触角が大きい)ほど液滴は動きやすい.一方,生体表面は一般的な化学繊維の挙動とは異なり,生体表面が乾燥している場合のように静的な撥水性が高い(接触角が大きい)ほど,液滴は動きにくい.つまり,生体の場合,接触角が大きいほど,食塊が動く際の抵抗になると言える.これは,口腔内が湿っている場合と乾燥している場合では,乾燥しているほうが食物を飲み込みづらいという臨床的な経験からも理解できる.一般的な化学繊維と生体の表面特性の違いは,表面粗さに起因する毛細管現象による食塊水分の壁面法線方向への吸い込み抵抗,また唾液などの存在に起因する生体表面上の滑水平面(ハイドロプレーン)の形成に伴う見掛け表面粗さの低減による親水化などに影響を受けると考えられる.よって生体表面と食塊の相互作用を内包したモデル化には,生体表面におけるぬれ性(⇔撥水性)を考慮する必要がある.

SVでは,豚の生体器官(舌,食道)の接触角と,壁面におけるスリップ係数(=壁面での見掛け粘度に関係した係数)を,適宜パラメータフィッティングを行いながら調整し,食塊と生体表面の相互作用を考慮した食塊モデルとして採用している.

3. 生体モデルと食塊モデルを統合した解析手法

嚥下時の食塊は短時間のうちに大変形ならびに飛沫を伴って流れるため,一般的な“メッシュ”と呼ばれる格子を解析対象空間に配置して計算する方法は,メッシュ作成の手間や計算精度の面などから適切ではないと考えた.そこでSVでは,流体の大変形や飛沫の取り扱いが可能な計算手法である粒子法(MPS法(4)4) 越塚誠一:“粒子法”,丸善株式会社,2005.)を採用した.これはすべての流体を微小な粒子と仮定し,その粒子一つひとつに流体的な挙動を示すための物性値を与えて計算を行う“メッシュフリー”の計算手法である.具体的には汎用3次元粒子法ソフトウエア:Particleworks(プロメテックソフトウエア社)に,壁面の強制変形を行う独自のカスタマイズを施したソフトウエアをソルバーとして使用した.

SVは,1で説明した医用画像と解剖学的知見を駆使して作成した嚥下動態モデル,ならびに2で説明した生体表面と食塊の相互作用を考慮した食塊モデルをParticleworks上で統合し,複雑,かつ高速で変形・移動する食塊の挙動を物理的に模擬することが可能となった.

4. 立体嚥下動態シミュレータでの計算結果の妥当性確認(5)

数値シミュレーションを利用する場合は,その計算結果の妥当性を確認する作業が必要不可欠である.ここではSVでの計算結果に対して,定性的,定量的な妥当性の確認方法と結果について述べる.

4.1 計算結果の定性的な妥当性確認

図2A図2■シミュレーション結果の妥当性確認結果に目視による定性的な妥当性確認の結果を示す.定性的な妥当性確認は,各時刻におけるVF画像とシミュレーション画像の食塊の位置や形状について比較することで行われた.各時刻においてシミュレーション結果は,喉頭蓋谷近傍の特徴的な食塊の形状をよく再現しており,SVは定性的に実際の現象をよく模擬できていると考えられる.

図2■シミュレーション結果の妥当性確認結果

上段:A: 目視による定性的確認,下段:B: 数値比較による定量的確認

4.2 計算結果の定量的な妥当性確認

図2B図2■シミュレーション結果の妥当性確認結果に数値比較による定量的な妥当性確認の結果を示す.妥当性を定量的に確認するにあたり,図2B-1図2■シミュレーション結果の妥当性確認結果図1■生体モデルの構築手順(A. 静的モデリング,B. 動的モデリング)に示したVF画像の検査領域(喉頭蓋谷近傍)における,輝度変化に着目した.嚥下中の最大輝度と最小輝度を用いて正規化した輝度の変化量とタイミングを,VF画像とシミュレーションで比較することで,定量評価とした.図2B-2図2■シミュレーション結果の妥当性確認結果図2■シミュレーション結果の妥当性確認結果からわかるように,シミュレーション画像の正規化輝度の変化量とタイミングは,VF画像の正規化輝度の変化量とタイミングとよく一致していた.以上のことから,SVによるシミュレーションは定量的に見ても実際の現象を精度よく模擬できていると考えられる.

立体嚥下動態シミュレータが示す食品開発・研究の新しい視点

SVは前述した4つの独自技術により,嚥下現象に対して①可視化,②数値化を可能にし,これらの情報を基に嚥下に関するさまざまな考察や予測,推定ができる.以下にSVが有する特長的な機能の概要について述べる.

1. 嚥下動作中の生体・食塊挙動の可視化

1.1 食塊の可視化(5)

図3(a)図3■嚥下時の食塊の可視化例にとろみ調整食品を溶解した液体(以下とろみ),図3(b)図3■嚥下時の食塊の可視化例にヨーグルト,そして図3(c)図3■嚥下時の食塊の可視化例に水の嚥下時の食塊の様子を示す.図からわかるように,とろみやヨーグルトでは嚥下時に食塊がひとまとまりになって咽頭を通過し,喉頭蓋が反転し喉頭入口が完全に密閉された後,食道に達する様子が目視で確認できるのに対し,水では嚥下時に多数の飛沫を伴いながら,喉頭蓋が反転して喉頭入口を完全に塞ぐ前に食塊が食道に達する.このことから,とろみやヨーグルトの飲み込みやすさは,嚥下時に飛沫発生が少なく,食塊がひと塊でかつゆっくりと咽頭を通過するためと推察できる.また,とろみやヨーグルトは喉頭蓋近傍への流入タイミングが水と比較して遅いにもかかわらず,喉頭蓋近傍での滞留時間が短いことが視覚的にも確認できる.滞留時間の短さは官能評価における“キレ”に,嚥下時の生体器官の力は官能評価における“喉越し”に関係している可能性が考えられる.ここで示した事例以外にも,SVでは誤嚥粒子の可視化なども可能である(6)6) 羽生圭吾,外山義雄,神谷 哲,和田哲也,神野暢子,高井めぐみ,菊地貴博,道脇幸博:第21回日本摂食嚥下リハビリテーション学会講演要旨集,S220 (2015)..このようにSVによる食塊の可視化は,これまで明らかにされていない嚥下時の食塊の詳細な形状変化の情報から,さまざまな考察を行うことができる.

図3■嚥下時の食塊の可視化例

2. 嚥下時の物理量の数値化

2.1 せん断速度分布(7)

図4図4■嚥下動作中に変化する食塊のせん断速度のプロファイル(等高線)に,健常成人の正常嚥下動作中に変化する食塊のせん断速度の頻度プロファイル(等高線)を示す.このプロファイルは喉頭蓋近傍の食塊のみを時系列的に抽出して作成したものである.水(水+造影剤)と比較してとろみ(とろみ+造影剤,明治:トロメイクSP: 2 wt%に調整)のせん断速度の分布は狭く,せん断速度の頻度のピークも高いことがわかる.また,とろみのせん断速度の最頻値は嚥下開始直後(食塊の先端がせん断速度の抽出領域にある)では50 s−1であるものの,食塊が喉頭蓋に到達し,食道に流入開始する領域では75 s−1程度であることがわかった.このことから嚥下時の食品物性の評価は,嚥下時のどの部位,またはどのタイミングに着目するかが重要であると言える.