Kagaku to Seibutsu 55(11): 775-782 (2017)
セミナー室
重イオンビームで広がる花きの新品種作出原子核は花の品種改良を加速する
Published: 2017-10-20
© 2017 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2017 公益社団法人日本農芸化学会
花き園芸植物に限らず植物の品種改良は,遺伝資源を利活用することで進展してきた.膨大な時間をかけて多様な遺伝資源が形成されてきた原動力の一つが自然界で生じた突然変異である.植物の品種改良に向けて遺伝資源を収集・維持するとともに,人為的に突然変異を誘発することで新たな遺伝資源を創出し,さらに直接新品種としてまたは交配親として利用する突然変異育種が現在も盛んに行われている.特に,花き園芸植物では取り扱われる品目が多いため,比較的さまざまな条件に適応できる突然変異育種法の重要性が高い.人為的に突然変異を誘発する方法は,1)X線やγ線などの放射線照射,2)アルキル化剤や核酸塩基アナログなどの化学変異剤処理,3)トランスポゾンやT-DNAを用いた遺伝子改変やCRISPR-Cas9などゲノム編集技術の利用,に大別できる.国連食糧農業機関(FAO)と国際原子力機関(IAEA)によるThe Mutation Variety Database(https://mvd.iaea.org/)には,放射線および化学変異剤によって誘発された3,248品種が現在登録されている.本稿では,わが国独自の突然変異育種法として発展した重イオンビーム育種技術を,花き植物における新品種作出の事例を交えて概説する.
放射線は1900年前後に発見され,それ以来X線やγ線が変異誘発に用いられてきた.X線はX線管と高電圧発生装置を組み合わせることで発生することができ,これを用いた照射装置が市販されている.γ線はコバルト60やセシウム137などの線源から発生し,照射施設が国内に20カ所程度ある.X線やγ線は,放射線が物質を通過するときその飛程に沿って付与するエネルギー(LET, keV/µm)が,0.2~2 keV/µmと低く,低LET線である.低LET線では照射により細胞核全体に発生したラジカルの間接作用により,主としてDNAに修復が容易な小さな損傷や,まれに小さな損傷が近傍に発生した多重切断により修復困難なDNA二本鎖切断を生じる.植物では低LET線を使用した際の変異体の選抜は,半分の個体が枯死する半致死線量が適しているとされてきた.一方,原子核を加速した重イオンビームは,X線やγ線にはない質量と電荷があり,高LET線である.LETが高いので,1粒のイオンでも飛程に沿って高密度の電離領域を形成し,DNA修復が難しい局所的に密なDNA損傷,すなわちDNA二本鎖切断などを誘発する.すると直ちに植物細胞は修復を開始するが,正確に直せず短くなったり,異なる染色体をつないでしまったりすることがある.この間違ってしまった部分に遺伝子があると,本来の機能を失い変異体となる.先行研究より高LET線では,低LET線と同じ生物効果を得るのに必要な線量は低LET線の線量より低いことが判明していた.また,線量はLETと飛来するイオン数の積に比例するため,同じ線量で比較した場合,LETが高くなると飛来するイオン数は減少する.たとえばキクの培養外植片照射において,再分化率が50%となる線量はγ線(0.2 keV/µm)では25 Gy,炭素イオン(86 keV/µm)では5 Gyであった(1)1) 山口博康:花き研報,12, 47 (2012)..すなわち,炭素イオンはγ線と比較して1/5の線量で同等の効果を示すことから,γ線と比較してより修復が困難なDNA損傷が誘発されていることが推察される.さらに,重イオンビームでは生存率に影響を与えない低線量で変異選抜が可能であり(2, 3)2) T. Abe, S. Yoshida, T. Sakamoto, T. Kameya, S. Kitayama, N. Inabe, M. Kase, A. Goto & Y. Yano: “Modification of Gene Expression and Non-Mendelian Inheritance,” NIAR, 1995, p. 469.3) 鈴木賢一,宮崎 潔,四方康範,勝元幸久,浦谷 宏,田中隆治,久住高章,福井祐子:放射線と産業,99, 40 (2003) .,これらは育種年限の短縮に結びつく.すなわち,飛来するイオン数が少ないため,目的とする遺伝子以外を傷つける割合が低減でき,元品種がもっていた農業上有用な形質はそのまま保つため,変異体そのものが新品種となることが期待できる.実際に,1998年に照射したものから,3つの新品種育成に成功した(4)4) 阿部知子,鈴木賢一:農業および園芸,77, 44 (2002)..切り花ダリアの栽培を行っていた広島市は‘美榛’(桃色)培養体に窒素イオンを照射し,大輪で濃赤桃色となったダリアを,2001年秋より“ワールド”という通称で,関西地方で販売した.サントリーフラワーズは,バーベナ“花手毬コーラルピンク”から種をつけない不稔系統を選抜し,2002年春より有用な形質を損なうことなく「花持ちの良さ」と「花房数の増加」という形質を付与した新たな“花手毬コーラルピンク”を,また,2003年から花色が鮮やかなピンク色になった新色ペチュニア“サフィニアローズ”を上市した(3)3) 鈴木賢一,宮崎 潔,四方康範,勝元幸久,浦谷 宏,田中隆治,久住高章,福井祐子:放射線と産業,99, 40 (2003) ..これらは,変異体そのものが新品種となったため,その育種年限は僅か2年と極めて短い.
1989年に理研加速器施設が本格運転を開始,1991年に日本原子力研究所(原研)高崎量子応用研究所イオン照射研究施設(TIARA)が,2001年に若狭湾エネルギー研究センター(若エネ研)の多目的シンクロトロン・タンデム加速器W-MASTが完成し,イオンビーム照射による品種改良技術は,日本で独自に開発された.現在,植物の品種改良を実施している重イオン加速器施設は,理研RIビームファイクトリー(RIBF),量子科学技術研究開発機構(量研機構)イオン加速器施設TIARA(旧:原研)および重粒子線がん治療装置HIMAC[放射線医学総合研究所(放医研)],若狭湾エネルギー研究センター(若エネ研)多目的シンクロトロン・タンデム加速器W-MASTがある.表1表1■植物の品種改良を実施しているイオン加速器施設と使用核種に,加速器施設ごとに植物照射の実績のある核種(イオンの種類)の特徴を示した.
加速器施設 | 核種 | エネルギー(MeV/u) | LET (keV/µm) | 水中飛程(mm) |
---|---|---|---|---|
RIBF(和光市) | C | 135 | 23 | 40 |
N | 135 | 31 | 34 | |
Ne | 135 | 63 | 23 | |
Ar | 95 | 280 | 6 | |
Ar | 160 | 184 | 16 | |
Fe | 90 | 640 | 3 | |
TIARA(高崎市) | He | 25 | 9 | 6.3 |
C | 26.7 | 86 | 2.4 | |
C | 17.4 | 113 | 1.0 | |
Ne | 17.5 | 441 | 0.7 | |
W-MAST(敦賀市) | H | 200 | 0.5 | 256 |
C | 55 | 41.3 | 8.8 | |
HIMAC(千葉市) | C | 290 | 13 | 161 |
Ne | 400 | 30 | 165 | |
Ar | 500 | 89 | 142 | |
Fe | 500 | 185 | 95 |
LETが生物効果に影響を与えることは動物細胞や微生物の研究で判明しており,たとえば,動物細胞ではLET 100 keV/µmが最も低線量で致死効果が得られることが知られている.そこで,植物の変異誘発効果に対するLETの影響を調査するため,およびユーザー数の大幅な増加への対応のため,2003~2004年に理研では「レンジシフター」と「自動試料交換装置」からなる生物自動照射装置を製作・整備した(5)5) H. Ryuto, T. Abe, N. Fukunishi, M. Kase & Y. Yano: J. Biomed. Nanotechnol., 2, 88 (2006)..照射材料は,乾燥種子,吸水種子,培養細胞,培養植物,穂木,苗などさまざまであり,その形状も植物種によって異なる.そこで,照射材料を収納する代表的な大きさのシャーレ,プラスチックケース,培養器や遠心管などに対応したカセットを製作し,サンプル交換を遠隔操作で行うシステムを構築した.これにより,1時間あたりに照射可能なサンプル数が30から50個へとほぼ倍増し,大幅に効率化した.一方,レンジシフターは,ビームをさまざまな厚さのアルミ板を通過させることでエネルギーを減衰し,LETを変化させる装置である.厚さが異なる数種類のアルミ板を組み合わせることで,幅広い範囲のLETから希望するLETを選択することが可能となった(図1図1■レンジシフターを用いた重イオンビームのLET領域).
モデル植物のシロイヌナズナを用いて変異誘発に最適なLETを23~640 keV/µmの範囲で検討した.その結果,種子照射で変異率が高くなるのは,照射線量–生存曲線において生存率が急激に低下する線量(線量の「肩」と呼んでいる)の60%程度の線量であり,その中で,最も変異率が高いLET(LETmax)は30 keV/µmであった(6)6) Y. Kazama, H. Saito, Y. Y. Yamamoto, Y. Hayashi, H. Ichida, H. Ryuto, N. Fukunishi & T. Abe: Plant Biotechnol., 25, 113 (2008)..また,最も低線量で致死効果が得られるのは,アルゴンイオン(290 keV/µm)であった.また,胚軸の異常な伸びを示すelongated hypocotyls(hy)や葉毛の欠損を示すglabrous(gl)など,既知の変異体を選抜して原因遺伝子領域を解析することで,どのような変異が誘発されているか調査した.その結果,23と30 keV/µmでは誘発される変異の種類や大きさに有意差は見られず,ほとんどが塩基置換か数bp(塩基対)から数十bpの一遺伝子を破壊する範囲の欠失変異であった(8)8) Y. Kazama, T. Hirano, H. Saito, Y. Liu, S. Ohbu, Y. Hayashi & T. Abe: BMC Plant Biol., 11, 161 (2011)..一方,致死効果の高いLET 290 keV/µmの炭素やアルゴンイオンでは,大きな欠失や染色体再構築など複雑な破壊が増加した(9)9) T. Hirano, Y. Kazama, S. Ohbu, Y. Shirakawa, Y. Liu, T. Kambara, N. Fukunishi & T. Abe: Mutat. Res., 735, 19 (2012).(図2図2■LETが異なる重イオンビーム照射により誘発した変異体における原因遺伝子の変異箇所の分類).以上のことから,シロイヌナズナ種子照射において,変異率が高く一遺伝子破壊に適した最適LET(LETmax)が存在することが明らかになった.また,LETを選ぶことにより,品種改良に適した一遺伝子破壊や,エピジェネティクスや優性変異などが期待できる染色体再構築など,目的とする破壊に適する照射「オンデマンド照射技術」を提唱している.
シロイヌナズナやイネ,タバコなどのモデル植物を対象とした基礎研究と並行して,花き植物における品種改良への応用が進められ,新品種として登録される突然変異体数も年々増加してきた.花き植物の品種改良では,観賞の対象である花器官の改良を目的として多くの重イオンビーム照射実験が行われてきた.これまでに,キク,バラ,カーネーションをはじめとして,ダリアやペチュニア,シクラメン,サクラ,ラン類など非常に多くの植物種で花色に関する突然変異体の誘発に成功している(10, 11)10) 阿部知子,吉田茂男:農業技術体系花卉編,第5巻追録第7号,2005, p. 124.11) 阿部知子,平野智也:農業技術体系花卉編,第5巻追録第15号,2013, p. 124.(表2表2■RIBFにおける重イオンビーム照射で得られた花き植物の変異例).花色の突然変異に関しては,たとえばアントシアニン生合成経路にかかわる酵素をコードする遺伝子に突然変異が生じることで経路が途中で止まり,本来花弁の細胞に蓄積する色素を失うことで花色が変化するということは容易に想像できるであろう.実際に重イオンビーム照射によってアントシアニン生合成経路のジヒドロフラボノール4-還元酵素遺伝子上に欠失変異が生じた突然変異により白花が生じている(12)12) Y. Kazama, M. T. Fujiwara, H. Takehisa, S. Ohbu, H. Saito, H. Ichida, Y. Hayashi & T. Abe: Plant Cell Rep., 32, 11 (2013)..また,複数ある経路のうちの一つが止まることで,ほかの経路により合成される色素量が増加する,あるいは新たな経路の色素が合成されるというケースも確認されている(13)13) K. Miyazaki, K. Suzuki, K. Iwaki, T. Kusumi, T. Abe, S. Yoshida & H. Fukui: Plant Biotechnol., 23, 163 (2006)..このようなアントシアニンに代表される色素の生合成系の遺伝子に突然変異を誘発して花色に関する変異体を得る試みは,一般的に放射線や化学変異剤を用いても行うことが可能であるが,重イオンビームは前述したとおり突然変異率は高いが目的とする遺伝子以外を傷つける割合を低減できるという特徴をもつことから,優良な形質をもった品種の花色のみを変えたシリーズを効率的に作出することが可能といえる.花き植物への重イオンビーム照射実験には,組織培養を含めた栄養繁殖系の材料が多く用いられており,突然変異体が選抜された後には,栄養繁殖により増殖することで,戻し交配なしに品種化される例が多く見られる.花き植物で求められるピンポイントの品種改良に重イオンビーム育種技術の特徴がよく合致したことで,短期間での新品種作出に成功した.花における色調の変化は,単純に花弁細胞に蓄積する色素量によるものだけではなく,花弁表皮細胞の液胞pHや構造も影響する(14)14) J. Mol, E. Grotewold & R. Koes: Trends Plant Sci., 3, 212 (1998)..残念ながら重イオンビーム照射により得られた花色変異体のゲノム解析は行われていないことから,各花色変異の原因となる遺伝子は明らかにされていないが,重イオンビームにより多様な花色をもつ突然変異体が得られる原因として,色素の生合成系の遺伝子およびその調節因子における突然変異に加えて,さまざまな因子への突然変異が導入されていると推測される.これらの因子をコードする遺伝子は植物種間で保存性が高いものも多いと考えられることから,モデル植物における遺伝子情報に基づくターゲット遺伝子解析が有効であろう.花き植物においては,ほとんどの植物種においてリファレンスとなる全ゲノム塩基配列は存在しないが,RNA-Seqで取得した転写産物データをアセンブルした配列や,PacBioやOxford Nanoporeなどの長鎖リードが可能な第三世代シーケンサーを用いてmRNAの全長配列を決定することで,ターゲット遺伝子解析に必要な遺伝子配列情報を取得することができる.市販のターゲット濃縮プラットフォーム(Agilent SureSelect, Roche SeqCap EZなど)を利用すると,一度に100 Mb以上のターゲット領域を濃縮して次世代シーケンサーで配列を決定することが可能であり,パスウェイ全体や既知のパスウェイに含まれる遺伝子と一定以上の相同性を有する遺伝子すべてといった,多数(10,000以上)の遺伝子配列を一度のシーケンシングで決定できる.
植物名 | 照射した核種 | 照射部位 | 変異形質 |
---|---|---|---|
キク | C, Ar | 挿木,花弁,腋芽,頂芽,培養体 | 花色,花型,不稔,わい性,早生,晩生,奇形花抑制,食味(食用菊) |
カーネーション | C | 培養体 | 花色,斑入り葉,わい性 |
バラ | C, N | 穂木 | 花色,花型 |
シクラメン | C | 塊茎 | 花色,不稔 |
チューリップ | C | 鱗茎 | 花色,花型 |
デンドロビウム | C | 培養体 | 花色,小型化 |
サクラ | C | 穂木 | 花色,花型,四季咲き性 |
ペチュニア | C, N, Ne | 腋芽 | 花色,葉色,斑入り葉 |
バーベナ | N | 培養体 | 不稔 |
トレニア | C, N, Ne | 葉片,腋芽 | 花色,花型 |
花器官の形態,構造に関する突然変異体も花色に関するものと同様に非常に数多くの種において選抜された(表2表2■RIBFにおける重イオンビーム照射で得られた花き植物の変異例).形質としては,図3a図3■花器官における突然変異に示したバラにおける花器官の変異例でもわかるように,花弁サイズの大小や花弁数の増加および減少,花弁の形態変異などが得られている.花弁の大きさの制御機構はシロイヌナズナで研究が進んでおり,細胞数の増加を促進する遺伝子と抑制する遺伝子,一つひとつの細胞の肥大を促進する遺伝子と抑制する遺伝子が存在する(15)15) B. A. Krizek & J. T. Anderson: J. Exp. Bot., 64, 1427 (2013)..したがって,促進遺伝子に突然変異が生じて機能を失った場合には花弁が小さくなり,逆に抑制遺伝子が機能を失えば花弁が大きくなる.また,花弁数の増減については,花器官形成におけるABCモデルに関与する遺伝子(16)16) W. Yan, D. Chen & K. Kaufmann: Curr. Opin. Plant Biol., 29, 154 (2016).や花芽分裂組織の形成および維持に関与する遺伝子(17)17) M. K. Barton: Dev. Biol., 341, 95 (2010).における突然変異が原因候補として考えられる.花き植物における花器官の大きさの制御機構は極めて限られた知見しか得られていないというのが現状である.突然変異体はこういったメカニズムを明らかにするための貴重なリソースであり,直接的な品種改良と同時に基礎研究にも活用されることが望まれる.花器官の形態や機能に関連する突然変異体として,正常な花粉を作らない雄性不稔系統も注目される.バーベナでは,雄性,雌性ともに不稔となる突然変異体が誘発され,種子を形成しないことで花持ちが向上し,さらに花房数の増加した(18)18) T. Kanaya, H. Saito, Y. Hayashi, N. Fukunishi, H. Ryuto, K. Miyazaki, T. Kusumi, T. Abe & K. Suzuki: Plant Biotechnol., 25, 91 (2008)..さらに,自家不和合様の反応を示すことで自家種子形成が阻害され,同様の有用形質を示す突然変異体も得られた.
花き植物には,高次倍数性を示す植物が少なくない.高次倍数性植物では遺伝子セットの数が多いことから,突然変異が導入された遺伝子が存在してもその表現型が現れにくいという難点がある.キクは6倍体と高次倍数性を示すが,通常栄養繁殖で増殖されヘテロ性が高いことから突然変異体の選抜は可能である.しかしながら,突然変異育種の親に使用する品種によってどのような表現型の突然変異体が現れやすいかが大きく左右されると言える.これまでに重イオンビーム照射によってキクにおける花色および花型の変異体が数多く選抜されてきた.さらに側枝発生を抑制した無側枝性,冬季栽培時の暖房費節約に向けた低温開花性,高温期の奇形花の発生抑制といったさまざまな形質の改良にも成功している(19, 20)19) 上野敬一郎,永吉実孝,今給黎征郎,郡山啓作,南 公宗,田中 淳,長谷純宏,松本敏一:園芸学研究,12, 245 (2013).20) A. Hisamura, D. Mine, T. Takeda, T. Abe, Y. Hayashi & T. Hirano: RIKEN Accel. Prog. Rep., 49, 24 (2016)..高次倍数性のキクにおいて多様な突然変異体を得るための工夫の一つとして,重イオンビームを複数回照射する方法がとられている.突然変異体を選抜した後に再度照射することで,一度の照射では得ることが難しい表現型,あるいは複数の表現型を同時にもつ突然変異体を得ることが可能となる.前述した無側枝性と低温開花性を兼ね備えたキク品種は,炭素イオンビームを複数回照射することで育成された(19)19) 上野敬一郎,永吉実孝,今給黎征郎,郡山啓作,南 公宗,田中 淳,長谷純宏,松本敏一:園芸学研究,12, 245 (2013)..また,花色変異の誘発にも有効であり,2回目の照射により花色のバリエーションが格段に増すことが報告されている(21)21) K. Tamaki, M. Yamanaka, Y. Hayashi, T. Hirano & T. Abe: RIKEN Accel. Prog. Rep., 47, 296 (2014).(図3b図3■花器官における突然変異).複数回照射の際には,突然変異をもつ遺伝子が増えることを最小限に抑えるために,炭素イオンビームのような突然変異率が高く小規模の欠失を誘発するビームを低線量で使用することが推奨される.一方で,大規模な欠失や染色体再編成を誘発するアルゴンイオンビームは,キクにおいて使用した際には炭素イオンビームに比べて多様な表現型の突然変異体が得られることが報告されている(22)22) Y. Tanokashira, S. Nagayoshi, T. Hirano & T. Abe: RIKEN Accel. Prog. Rep., 47, 297 (2014)..染色体の構造を変化させることや局所的に重複した遺伝子を欠失させることで,一度の照射では得ることが難しい突然変異体が得られている可能性が示唆される.現在では,花き植物に限らず高次倍数性植物へのアルゴンイオンビームのような超高LETをもつビームの使用が注目されている.このように,育種目標や戦略,また植物の倍数性や繁殖様式に合わせて,特徴をもった重イオンビームを使い分けることが可能であり,「オンデマンド照射技術」は効率的な花き植物の品種改良につながっている.
変異率を高めるという技術開発とともに,重イオンビームで誘発される変異とは何かということを解明するMutagenesisの研究を推進してきた.その結果,品種改良に有効な照射条件として,植物では,変異率も高く稔性低下がない照射区として線量-生存曲線の肩の60%程度の線量を,微生物では,欠失変異の出現率が高い鉄イオンを用い(23)23) H. Ichida, T. Matsuyama, H. Ryuto, Y. Hayashi, N. Fukunishi, T. Abe & T. Koba: Mutat. Res., 639, 101 (2008).,生存率が10%以下になる照射区を推奨している.また,染色体再構築などのダイナミックな変異が欲しいときはアルゴンイオンなど重いイオンを,出現率が低い変異が欲しいときは炭素イオンなど軽いイオンで半致死線量を,クローン苗で増殖する植物では栄養繁殖の組織を照射サンプルとすることをお薦めしている.品種改良の素人である加速器施設の研究者が重イオンビーム育種技術の開発を推進できたのは,ユーザーと協力して変異体が1株でも選抜できれば組織培養法でクローン苗を増殖できる花き植物を対象として実用化推進を行ったからと言える.理研はバーベナやペチュニア,量研機構はカーネーションやキク,若エネ研はニチニチソウやネメシアなどで新品種育成例があり,現在までに品種登録出願数は60を超えた.これまで,どちらかというと競合関係にあった各加速器施設であるが,内閣府 戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「次世代農林水産業創造技術」(管理法人:農研機構生物系特定産業技術研究支援センター)の支援を受けて,2014年から重イオンビーム育種技術の体系化とイネにおけるゲノム編集技術のターゲットとなる遺伝子の探索を共同で推進している.また,それぞれの加速器施設の照射実績を収納した変異統合データベースを作成している.これまで,変異誘発のための照射条件はトライ&エラーで経験的に決定されてきた.構築中の変異統合データベースは,生物種ごとに照射条件と誘発された変異を自由に検索・閲覧可能なシステムで,今後,データを蓄積していくことで新たなユーザーが放射線による突然変異育種を行う際の判断材料を提供することが可能になると考えている.また,キクでは花色に関してメタボローム解析データの搭載を予定しており,花色変異の方向性予想を可能とする.最終的には,収納したデータを分析することにより,未知の植物種に対しても適正照射条件の推定が可能となることが理想である.
モデル植物ではシロイヌナズナが2000年に,イネが2004年に全ゲノム塩基配列が決定され,植物の分野においてもゲノムの時代が始まった.短時間かつ低コストで大量の塩基配列を決定する,いわゆる「次世代シーケンサー」の利用が一般的となり,ゲノム情報に基づいて変異解析を行う時代が到来した.シロイヌナズナにおいては,変異体の染色体が複雑に組換わっている様子をほぼ完全に解析することができるようになった(8, 9)8) Y. Kazama, T. Hirano, H. Saito, Y. Liu, S. Ohbu, Y. Hayashi & T. Abe: BMC Plant Biol., 11, 161 (2011).9) T. Hirano, Y. Kazama, S. Ohbu, Y. Shirakawa, Y. Liu, T. Kambara, N. Fukunishi & T. Abe: Mutat. Res., 735, 19 (2012)..シロイヌナズナのゲノムにコードされる全遺伝子数は25,000個,イネでは37,000個と推定されるが,そのうち機能が判明しているのは20%程度である.一方,植物においてもCRISPR-Cas9などのゲノム編集技術が一般的に利用されるようになっており,ゲノム上の任意の遺伝子を破壊したり,塩基配列を置換することが比較的容易に実現可能である.これらの技術を活用するためにはターゲットとなる遺伝子をあらかじめ同定する必要がある.そのため,変異体を単離してゲノム情報に基づいて原因遺伝子を同定し,遺伝子機能を解明するMutagenomics研究の重要性が増している.近年ではDNAシーケンサーの性能向上に伴う配列決定コストの著しい低下により,ゲノムサイズが比較的小さいモデル植物においては,まず変異体の全ゲノム配列を決定し,その情報に基づいて原因遺伝子を同定するのが合理的である.たとえば,アルゴンイオン照射によって単離したシロイヌナズナ変異体の全ゲノム解析を行った例では,1変異体あたり平均48遺伝子(ホモは11個,ヘテロは37個)に変異が発生していた(24)24) T. Hirano, Y. Kazama, K. Ishii, S. Ohbu, Y. Shirakawa & T. Abe: Plant J., 82, 93 (2015)..これまで,LETと変異の解析に必要な遺伝子破壊イベントを収集するため,前述のように原因遺伝子が既知の変異体を単離し,その遺伝子領域の塩基配列を決定していたが,この方法では変異体の収集と配列決定に多くの時間と労力を要する.次世代シーケンサーを用いたアプローチでは,表現型が見やすい任意の変異体を収集して全ゲノム配列解析を行うことで多数の変異イベントを収集すると同時に,ゲノム上に散在する必須遺伝子などによるバイアスを低減することが期待できる.理研・量研機構・若エネ研では,イネ種子に重イオンビーム照射を施し,農研機構次世代作物開発研究センター・東北大学・宮城県古川農業試験場・福井県立大学と協力して有用変異体の選抜を進めている.今後,全ゲノム配列解析によって変異領域を網羅的に検出し,変異箇所に対するLET効果を解析するとともに,変異体の原因遺伝子を同定し,ゲノム編集技術のターゲットとなる遺伝子の多様化に貢献する.
近年,アルゴンイオンでペチュニアやスプレーギク(25)25) 阿部知子,風間裕介,西美友紀,永吉実孝:育種学研究,16, 67 (2014).の,鉄イオンでミドリムシ(26)26) K. Yamada, H. Suzuki, T. Takeuchi, Y. Kazama, S. Mitra, T. Abe, K. Goda, K. Suzuki & O. Iwata: Sci. Rep., 6, 26327 (2016).の新奇変異体が得られ,微生物以外でも重いイオンの有効性が示された.加速器物理学者の協力を得て生物に対してもさらに重いイオンの新技術開発を推進していきたい.理研では照射実験に参加するユーザーを集めて「品種改良ユーザー会」を組織しており,2001年から2年毎に研究会を行うとともに,研究成果を取りまとめた報告書を出版している.本年度は,2018年1月25~26日に理化学研究所(埼玉県和光市)で第9回品種改良ユーザー会を開催する.本稿を読んで突然変異育種に興味をもってくださった方は,ion-breeding@riken.jpまでご連絡をいただけたら幸いである.
Reference
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