Kagaku to Seibutsu 56(1): 52-58 (2018)
バイオサイエンススコープ
基礎研究における海外遺伝資源入手の際のMTA雛型海外遺伝資源の適正な入手と利益配分
Published: 2017-12-20
© 2018 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2018 公益社団法人日本農芸化学会
2017年国会において,名古屋議定書締結の承認を得て,2017年8月20日に名古屋議定書の締結に伴う行政措置「遺伝資源の取得の機会及びその利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分に関する指針(ABS指針)」が施行された.これに伴い,海外からの遺伝資源入手,特に発展途上国からの入手に際し,遺伝資源提供国法令を十分に理解し,この指針に従い国内の手続きを求められることになる.
今までに,多くの記事において,生物多様性条約(以後CBD)・名古屋議定書(以後NP)及び食料及び農業に関する植物遺伝資源に関する国際条約(以後ITPGRFA)の下,遺伝資源の国際間における授受について,どのようなことを遵守するのかなどの詳細が解説されている(1~3)1) 井上 歩:バイオサイエンスとインダストリー,75, 264 (2017).2) 磯崎博司:地球環境学,12, 1 (2017).3) 森岡 一:一般社団法人日本国際知的財産保護協会月報,61, 954 (2016)..これらの国際条約や遺伝資源提供国の法令の縛り,そして日本の行政措置に不安や重荷を感じ,発展途上国との先進的な研究の取り組みに一歩踏み出すことを躊躇している研究者も多くいると聞く.今回,そのようなことを踏まえて実例に則した視点で,発展途上国から遺伝資源を入手する際に,どのようなことに注意して,どのような手順で入手すべきかについて,ベトナム,モンゴルなどの国の実例を基に,実際の手続きや入手手順などを紹介し,遺伝資源提供国法令に従わず日本へもってきた場合の問題についても考えたい.さらには,基本的に研究材料の授受では,通常研究材料を入手する際に,研究材料移転契約(以後MTA)を締結するが,そのMTAは発展途上国からの研究材料入手にも大きな役割を果たす.今回,複数の遺伝資源提供国から入手した実績を基に,必要な条項の意味を解説し,最終的にどのような考え方で作成するのか,また,サンプル契約として実際に利用可能なMTA案を紹介する.これらの情報を活用して,今後の海外遺伝資源利用に積極的にアクセスしていただきたい.
今年2017年7月1日にベトナムでは,省令が改訂され発効した(4)4) ABSCH: Country Profiles, Vietnam, https://absch.cbd.int/countries/vn.今回の改訂でベトナムの遺伝資源アクセスの詳細な規定が定められ,利益配分の率とアクセスルールが明確になったが,基本的な遺伝資源ABSの考え方は,ほかのアジアの国と概念的に類似している点が多いので,ベトナムの省令を使って,遺伝資源へのアクセス方法について説明する.
許可を得るための権限ある当局(Competent Authority)は,遺伝資源の種類で異なり,農業関連の種子,家畜,水生生物そして森林の植物(苗や種子など)は,Ministry of Agriculture and Rural Development,それ以外の遺伝資源は,Ministry of Natural Resources and Environmentとなる.他国においても,同様に遺伝資源の種類で権限ある当局が異なる場合が多いので留意する.
(研究者が個人でベトナムから遺伝資源を入手する場合)ベトナム省令7条に従い,外国人(ベトナム人以外)は,いかなる目的でも遺伝資源へのアクセスをする場合,登録が必要となる.本省令8条に従い,(1)遺伝資源の種類に伴い,相応しい権限ある当局への登録,(2)ベトナムの提供者との契約(遺伝資源を利用して得られる利益の分配(BS)に関する規定がされている必要がある),(3)遺伝資源が存在した(する)地方政府の契約内容確認と地方政府発行の証明書,(4)(1)~(3)の書類をまとめて権限ある当局へ提出する.ベトナムの微生物リソースセンター(Institute of Microbiology and Biotechnology(IMBT),Vietnam National University, Hanoi)(5)5) IMBT: http://imbt.vnu.edu.vn/en/への微生物へのアクセスの場合は,(3)の遺伝資源が存在した(する)地方政府は,IMBTで置き換えられる.したがって,IMBTで保存されている微生物資源へアクセスする場合,研究者登録後,IMBTとの提供契約(MTA等)を締結し,微生物を入手することになる.アクセスする遺伝資源の中で,国立公園内やアクセスが制限されている遺伝資源(稀少生物等)については,(3)は地方政府ではなく,それぞれを管轄する省の承認が必要となる.この点は,他国でも同じように制限された地域においては,許可を得る管轄が異なるので注意する.
(オンライン登録)アクセスする外国人の登録について,WebによるオンラインをBiodiversity Conservation Agency(BCA)に開設する予定であるが,まだオープンしていない.インドネシアでは,遺伝資源へアクセスする外国人のWebサイトによる登録システムが開設されており,インドネシアの遺伝資源を利用する際には,まずこのサイトで登録する必要がある(6)6) RISTEK: Indonesia: Foreign Research Permit (Online Application), http://frp.ristek.go.id.その後,どのような手順でどこの権限ある当局と交渉すべきかについてのコンサルテーションが行われ,指示に従い進めていくためのシステムとなっている.他国でもこのようなシステム導入を検討しており,同様のWeb申請は,広まっていく可能性が高い.
(研究機関との共同研究に基づき遺伝資源の移転の場合)ベトナム省令20条1には,ベトナム人学生,博士課程の学生そしてベトナムの研究機関が,研究のために海外へベトナムの遺伝資源を持ち出す手順が定められている.学生が海外へベトナムの遺伝資源を持ち出す場合には,定型の申請書と受入機関(海外研究機関等)の推薦状を付けて権限ある当局へ申請を行うことで,研究のために持ち出すことが可能になる.ベトナムからの学生を大学に受け入れ,研究のために遺伝資源が持ち込まれる際には,これらの手続きを行ったかの確認をすれば良い.また,本省令20条2には,ベトナムの研究機関が研究目的で海外の第三者へベトナムの遺伝資源を提供する場合,ベトナムの研究機関(提供者)が定型の申請書と受入機関の書面により受入同意書で権限ある当局へ申請する.当然,前述の特別な遺伝資源の場合には,提供者が事前に管理当局(管轄の省)の許諾を得て,併せて申請をする.いずれにせよ,研究目的で,海外の研究機関へベトナムの遺伝資源を提供する場合,ベトナム側の提供機関(提供者)や個人(学生)による手続きをもって完了し,受領者によるベトナム政府への手続きは不要である.前述の微生物資源へのアクセスの場合,IMBTと共同研究契約の下で微生物へアクセスするならば,IMBTと受領者との契約のみで,受領者によるベトナム政府への手続きは不要となる.
(共同研究の下での入手)多くの国で,研究者が単独で海外の遺伝資源へアクセスするより,その国の共同研究者を探し,共同研究の枠内(MOUの締結や共同研究契約の締結後)で遺伝資源へのアクセスをすることにより,手続きが簡便になる場合も多く,遺伝資源の取得の際に研究材料移転契約(MTA)のみで,入手できる国も多い.
モンゴル*1モンゴルでは,遺伝資源に関する法律は,Law on Flora(2011改訂)を含むいくつかの法律と規制で構成されているが,現在新しい法律として,Law on Genetic Resourcesの準備を進めており,今後記述の手順やルールが大きく変わる可能性が高い.では,研究機関とのMOUが締結され,共同研究契約がされた後,研究材料の移転には,MTAを締結することにより入手が可能である.この場合,モンゴルの研究機関がモンゴル環境省(フォーカルポイント)へ事前に契約内容を打診し,ある程度の指導を受けて内容を修正後締結するのが手順である.事前の研究者登録や,モンゴルのフォーカルポイントへのアクセスや相談は不要となる.ただし,それらの契約には,利用する遺伝資源から得られる利益,特に非金銭的利益については,双方で合意された内容がMTAの中に記載される必要がある.
このように,遺伝資源を入手する国の法令,適正な手順を理解しておけば,特定の国を除いて,遺伝資源の入手は特段難しいものではない.その際に締結される契約には,利益配分について文言や提供国に必要な手続きの責任の所在,つまり提供者がきちんと法令を遵守し提供することを約束する条項(後述)を入れておくことで,将来の問題に対する準備に不足はないと思われる.
遺伝資源を入手する手続きや提供国の法令を理解しておけば,入手は容易であり,また,将来の問題に対する準備に十分であると説明したが,その「将来の問題」とは何かについて,少し考えてみたい.
(前提)まず,遺伝資源提供国の法令や適正な手順を,知ってか,知らずして,結果的に不法に日本へ持ち出したとする.この場合,日本へ持ち込む際に日本国内法令(植物防疫法,動物検疫法,薬機法やその他関連法)の遵守は当然行っていることが前提である.
(遺伝資源提供国法令を遵守せず日本へ持ち込んだ場合)法令を遵守せず日本へ持ち込んだ場合,何が問題になるだろうか.遺伝資源提供国法令に罰則規定が有った場合,持ち込んだ当事者が日本に居れば,その罰則は適用されない.ただし,遺伝資源提供国法令を遵守せず持ち出した当事者が,遺伝資源提供国に再入国した際に,その法律が適用される場合がある.それでは,違法に入手した遺伝資源を用いた結果を論文に書いた場合,何か問題が発生するのかというと,その学会のルールにしたがって記載すれば,特段の問題はない.また,その遺伝資源から産業的価値が見いだされ,特許出願した場合も日本の特許法に触れることはない.その特許や遺伝資源を企業へライセンスした場合にも,民法で違法になる可能性は低い.
(風評被害)何が問題になりうるかとすれば,違法に入手した遺伝資源が財産的価値を生み,大きな利益を得た場合,また,その事実が公になった場合に,遺伝資源提供国政府からの外交ルートによるクレームやNGOなどの過激な団体によるプロパガンダとその風評の問題である.つまり,もし「○○大学が違法に海外の遺伝資源を持ち出して,特許出願して,企業からロイヤリティを得た」ということが,メディアなどで取り沙汰された場合,その行為が日本で法的に問題はなくとも,それは倫理的に受け入れられず,その研究者や研究機関は,その風評から大きな打撃を受けることになる.加えて,ライセンスを受けた企業にもその風評被害が広がり,企業イメージの失墜や売り上げの低下などの影響も少なくないと想像される.
遺伝資源提供国から不適切な入手と利用が日本においては法的に問題ないからといって,また,研究が早く進むからといって不適切な手順での入手を推奨しているのではなく,もし不適切な入手を行った場合には,実際にどのような被害をだれが被るのか,を十分理解しておく必要がある.このような事態にならないためにも,提供国法令があれば,適切にその手順で進め,提供国法令がない国ではメールなどを含む遺伝資源入手の経緯や契約などの証拠を正しく保存することが重要であると思う.今後,国ごとに違う法令や,遺伝資源の種類,用途の違いで,大きく状況も変わる可能性があるため,研究者個人でというよりは,組織的な対応や管理が必須であると思われる(7)7) 深見克哉:研究イノベーション学会誌,32, 185 (2017)..
これまで,適正な手順に従って海外の遺伝資源を入手することがいかに重要かについて述べた.この項では,2017年8月に発効した国内措置(ABS指針)の遵守(日本での入手後の手続き)について,遺伝資源提供国法令との関係も含めて解説する.
ABS指針は,数年の専門家での議論や各団体からの意見を配慮し,ABS指針を遵守することで,研究開発に遅れが出ないように,また,多くの労力を割かずに,遵守できるものになっている.
(遺伝資源の適用範囲)ABS指針は,第1章第3に提供範囲が定められ,名古屋議定書に定められていない遺伝資源等が列記されている.核酸の塩基配列等の情報,人工合成核酸,遺伝の機能的谷を有しない生化学的化合物,ヒト遺伝子,名古屋議定書が日本で効力を生ずる以前(2017年8月20日以前)に得たもの,そして市場で購入したものを対象外としている.
(ABS指針に基づく報告)研究機関がABS指針で対応すべき事例は,図1, 2図1■共同研究者経由で入手図2■研究者直接現地で探索に示す.遺伝資源提供国において,大学等研究機関が遺伝資源をアクセスする場合,研究者が直接現地で遺伝資源を入手する場合と,遺伝資源提供国の研究機関との共同研究で入手する場合がある.どちらの場合でも,遺伝資源提供国法令があり,事前の情報に基づく同意(PIC)に基づき,相互に合意した条件(MAT)が契約書等で明記され締結された証明として,許可証等を発行し,それをABSクリアリングハウスに報告する規定(ABSクリアリングハウスに報告され,そのホームページに掲載された場合に国際遵守証明書(Internationally Recognized Certificate of Compliance(IRCC))とみなされる)がある場合に,大学等研究機関は,遺伝資源の入手の際に,その手順に従い証明書等を取得したことを,環境省ABS窓口に報告することになる(図1a図1■共同研究者経由で入手,図2a図2■研究者直接現地で探索).そのようなPIC, MATの手続きが定められていない遺伝資源提供国法令であれば,もしくはそのような法令がない国からの遺伝資源取得については,ABS指針に基づく報告は,任意となる(図1b, c図1■共同研究者経由で入手, 図2b, c図2■研究者直接現地で探索).現時点で,この図1a図1■共同研究者経由で入手,図2a図2■研究者直接現地で探索のような提供国法令を有している国は,インドを含む数カ国しかない.
(購入した遺伝資源)現地で遺伝資源を市場で購入して,持ち帰ったものについてはABS指針でいう輸入者となり,ABS指針に基づく報告は任意となる.しかし,遺伝資源提供国法令が,この場合においてもPICおよびMATを求め,証明書の発給などを行えば,ABS指針に基づく報告は必要となるため,注意が必要である.
(ITPGRFA)植物遺伝資源は,ABS指針第3-2に,食料及び農業のための植物遺伝資源に関する国際条約(International Treaty on Plant Genetic Resources for Food and Agriculture(ITPGRFA))で規定されるクロップリストに掲載の植物遺伝資源は,ABS指針に適用しないとある.ITPGRFAの範囲にある植物遺伝資源の授受は,Standard MTA(SMTA)(7)7) 深見克哉:研究イノベーション学会誌,32, 185 (2017).の締結のみで,各国のジーンバンクより簡単に入手可能であるが,ITPGRFAにおける植物遺伝資源の利用は,“The Recipient undertakes that the Material shall be used or conserved only for the purposes of research, breeding and training for food and agriculture.(Standard MTA Article 6.1)”と限定されていることから,食料及び農業に関する利用以外の利用“Such purposes shall not include chemical, pharmaceutical and/or other non-food/feed industrial uses.(Standard MTA Article 6.1)”については,生物多様性条約/名古屋議定書の範囲に入ることから,その遺伝資源提供国法令に従い,適正な入手手続きが必要な場合や,ABS指針に基づく報告が必要な場合もあることに注意を払う必要がある.
加えて,ABS指針と遺伝資源提供国法令遵守の関係について理解しておく必要があることは,ABS指針に記載のものが対象外だから,遺伝資源提供国の入手の際に手続きは不要であるということではないということである.あくまでも,遺伝資源提供国の入手の際に,その国の法令に定められていることを遵守する.ただ,ABS指針の対象ではない入手については,「ABS指針に基づく報告は必須ではない」だけのことである.この点は混同しやすいので,注意すべきである.
これまでアクセスについての遺伝資源提供国法令や日本のABS指針対応について説明した.この項では,遺伝資源入手のための契約,そして利益配分について説明する.
極めて多くの研究材料は,アメリカやヨーロッパの研究機関等とで研究推進のために授受のやり取りが行われている.その際に使われる研究材料移転契約(Material Transfer Agreement(MTA))は,NIH*2National Institutes of Healthの略.やAUTM*3Association of University Technology Managersの略で,アメリカ産学連携の中核組織.が作った雛型がよく使われていて,多くの研究機関で合意されているものでもある.
(MTA基本的構成)その共通構成は,(1)提供されるものの定義と所有権,(2)利用目的,(3)提供される材料の利用方法(第三者への提供,未改変物/派生物(derivatives)の取扱い,研究終了後の残物の取扱い等),(4)成果の取扱(発表の方法や改変物(Modifications)の所有権)(5)提供物の品質等の免責,(6)提供物利用の際の法令遵守である.これらの条件は,多くの研究機関で利用される条項であり,多くの途上国でも用いている条項である.われわれは,海外,特に発展途上国から遺伝資源を入手するためのMTAを準備する際に,これらをフレームにして作成している.
(非金銭的利益)発展途上国からの遺伝資源の入手の際には,MATが必要であり,遺伝資源の利用条件,利益配分について合意が必要となる.MATとは,契約を意味し,その中に利益配分に関する条項が含まれていなければ,遺伝資源提供の合意には至らない.名古屋議定書のアネックスに非金銭的利益の例が掲載されており,それを表1表1■名古屋議定書アネックに記載の非金銭的利益例に転記した.大学研究においては,非金銭的利益は主であり,いままでネパール,タイ,ベトナム,モンゴル,カンボジアなどアジアの国の遺伝資源入手の際に,利益配分について議論してきた結果,発展途上国が期待する非金銭的利益の多くは,表1表1■名古屋議定書アネックに記載の非金銭的利益例(a),(b),(d),(h),(n)と(q)である.通常のアメリカ,ヨーロッパでのMTAには,利益配分は明記しない場合が多く,発展途上国とのMTAと性質を異とする.
(契約の形式)通常,海外の研究機関と共同研究を行う場合,MOUや共同研究契約を締結し,共同研究を実施する.さらに,その研究で必要な遺伝資源を含む研究材料は別途締結するMTAで移転されることが一般的である.しかし,提供国研究機関がMOUや共同研究契約締結を望まない場合,もしくは共同研究契約を結ぶほど大きな研究ではない場合,MTAのみで入手可能なことも多い.MOUや共同研究契約の中に,共同研究で実施する内容が協議され,(d)や(h)のキャパシティビルディング*4能力構築と言い,この場合,発展途上国等の研究機関の研究能力を向上させるため,それに必要な能力の教育支援や研究の技術移転などを行うことを言う.や(f)の研究技術の移転などは記載されることが多いが,より具体的な遺伝資源の利用条件については,MTAでその取扱いを定義することが多い.まず,そのMTAがMOUや共同研究契約の下でなされていれば,その旨の記載があると,よりMTAの位置づけが明確になるので,望ましい.
(MTA案)発展途上国研究機関等から遺伝資源を入手する際に,通常アメリカ・ヨーロッパなどと締結する契約より具体的な遺伝資源の取扱いや利用後に得られた発明を含む成果の取扱いについての記載が必要となる.最後に,発展途上国から遺伝資源を入手するためのMTA案全文を掲載した.本案Article 6に,発表の際は遺伝資源の収集や成果に寄与したことを配慮し,共著とすること,Article 7には,発明を創出した場合は提供者とその取扱いを協議する,もしくは特許は共有とすると明記している.Article 8においては,改変物を創作した場合,所有権の協議とさらなる研究の発展のための第三者への提供の権限を定めるとした.これらの条項は,名古屋議定書に定める非金銭的利益を含むMATとして十分な内容でもあると考えられるし,これ以上の過度な利益配分を要求されたケースはなかった.しかし,各自MTAを締結する際は,本案の条項どおりに進めるというよりは,研究を始める前に十分に提供者と受領者で,想定される研究の成果を議論し,それに従って,何を共有にすべきなのか,また,成果物の種類(図鑑や標本などの場合もある)などによって,利益配分の条件を臨機応変に定めることも肝要である.
(法令遵守義務)遺伝資源提供国に法令がない場合(図1c図1■共同研究者経由で入手,図2c図2■研究者直接現地で探索)は,大型の研究プロジェクトでない,相手がMOUや共同研究契約を望まないなどの理由で,MTAのみで遺伝資源を入手することが多い.その際,Article13に,提供者の遺伝資源に関する法令遵守義務と受領者の保護を明記している.遺伝資源提供国の詳細なルールなどは十分に把握できない場合もあり,また,ベトナム国法令のように提供者が提供国に手続きをする場合が多く,この条項により,万が一NGOなどに「不正アクセスだ」などのクレームがあったとしても,この契約が楯となる期待は高い.
今回の添付MTA案は,いままでいくつかの発展途上国の研究機関や研究者の合意を得て,種々の遺伝資源を入手した経験があるものである.しかし,前述のとおり,遺伝資源の種類,用途などにより,不要な条項や加筆すべき条件などが場合により発生するため,適宜修正を加えて利用していただきたい.これを用いて,迅速な遺伝資源の授受の一助になれば幸いである.
国際条約や遺伝資源提供国法令の多様性,外国法令および日本のABS指針との関係が複雑で,遺伝資源の種類によっても状況が異なることから,多少の混乱が現場で発生している.今回,これらのことを正確に説明すれば,より多くの枝葉について紹介しないといけないが,読者が遭難する可能性もあり,できるだけ単純に本質的な部分を理解してもらうために,荒っぽい解説や簡単な説明に終始した.また,これから,名古屋議定書を締結した国では,それぞれの法令を新しく発効したり,改定したりし,状況は日々変わっていく.実際に,海外の遺伝資源を入手する際に,紹介した事例と全く違った状況を経験するかもしれないが,MTAの基本構造は大きく変わることはない.まず,このMTAを基本に,適正に入手する努力をしていただければと思う.
本稿を読んでいただいたことで,ほかの解説書でより深く理解をしていただくきっかけとなり,海外の遺伝資源の適正な入手とそれを利用した研究が推進されることを願う.
Note
ABS | Access and Benefit Sharing |
---|---|
AUTM | Association of University Technology Managers |
BCA | Biodiversity Conservation Agency |
CBD | Convention on Biological Diversity |
IMBT | Institute of Microbiology and BioTechnology |
IRCC | Internationally Recognized Certificate of Compliance |
ITPGRFA | International Treaty on Plant Genetic Resources for Food and Agriculture |
MAT | Mutually Agreed Terms |
MOU | Memorandum of Understanding |
MTA | Material Transfer Agreement |
NGO | Non-Governmental Organization |
NIH | National Institutes of Health |
NP | Nagoya Protocol |
PIC | Prior Informed Consent |
SMTA | Standard Material Transfer Agreement |
Reference
1) 井上 歩:バイオサイエンスとインダストリー,75, 264 (2017).
2) 磯崎博司:地球環境学,12, 1 (2017).
3) 森岡 一:一般社団法人日本国際知的財産保護協会月報,61, 954 (2016).
4) ABSCH: Country Profiles, Vietnam, https://absch.cbd.int/countries/vn
5) IMBT: http://imbt.vnu.edu.vn/en/
6) RISTEK: Indonesia: Foreign Research Permit (Online Application), http://frp.ristek.go.id
7) 深見克哉:研究イノベーション学会誌,32, 185 (2017).
8) FAO: SMTA, http://www.fao.org/3/a-bc083e.pdf
*1 モンゴルでは,遺伝資源に関する法律は,Law on Flora(2011改訂)を含むいくつかの法律と規制で構成されているが,現在新しい法律として,Law on Genetic Resourcesの準備を進めており,今後記述の手順やルールが大きく変わる可能性が高い.
*2 National Institutes of Healthの略.
*3 Association of University Technology Managersの略で,アメリカ産学連携の中核組織.
*4 能力構築と言い,この場合,発展途上国等の研究機関の研究能力を向上させるため,それに必要な能力の教育支援や研究の技術移転などを行うことを言う.