生物コーナー

宇宙医学の現状と未来20世紀の宿題は持ち越し

嶋田 和人

Kazuhito Shimada

宇宙航空研究開発機構

Published: 2018-01-20

はじめに

ソ連のユーリイ・ガガーリンが地球を周回(地球低軌道)してから57年余りになる.2017年末からは日本人で12人目の宇宙飛行士・8人目の国際宇宙ステーション(ISS)乗員・3人目の医師飛行士である金井飛行士が半年予定で微小重力下の滞在を開始した.ISSでは若干の(10−5程度)重力加速度(G)があるため微小重力環境と称しているが生物学的には無重力と考えて良い.

微小重力の植物に対する影響は日本の研究者によっても活発に研究されている(1, 2)1) JAXA: 生命科学研究,http://iss.jaxa.jp/kiboexp/field/scientific/#life2) 矢野幸子:シャトル植物研究,http://iss.jaxa.jp/column/sachiko/vol9.html, 2012..本稿では主に人体に関して述べる.

有人宇宙飛行の初期には人間が長時間の微小重力に耐えられるか不明な点が重大なリスクとされていた(3~5)3) A. E. Nicogossian, R. S. Williams, C. L. Huntoon, C. R. Doarn, J. D. Polk & V. S. Schneider: “Space Physiology and Medicine 4th Ed.,” Springer, 2016.4) G. Clément: “Fundamentals of Space Medicine 2nd Ed.,” Springer, 2011.5) M. R. Barratt & S. L. Pool: “Principles of Clinical Medicine for Space Flight,” Springer, 2008..ジェミニ計画(1961~1966)では搭載量に制限のある中で13日間までの,またスカイラブ宇宙ステーション(1973~1979)ではISSより広いキャビンを活用して84日間までの滞在実証と医学測定が精力的に行われた.ソ連は長期滞在を重視し,ミール宇宙ステーションでポリャコフ医師飛行士が1994から1995年にかけて現在の記録,437日の連続滞在を完結した.最後の半年は運動詰めだったが帰還後はさしたる困難はなかったと報告している.ヒューストンのジョンソン宇宙センター展示館にはスカイラブの精密モックアップがあるので行かれたら是非見ていただきたい.シャトルまで使われた体質量測定装置を見つけることができるだろうか.もっと近く,千歳の飛行場からすぐの苫小牧市科学センターには何とミールの精密モックアップがあり,光学装置までしっかりついているので是非ご覧いただきたい.

ではわれわれはすでに重力生物学を大いに理解しているかというと全く逆である.軌道上でのライフサイエンスは機材の打上重量制限と操作の非能率(すべて固定しておかないと動いてしまう,チューブの液体に泡が入ると取れない,など)から困難であるのみならず,現在のISS計画は立案時に被験者実験を重視せずに開始された事情がある.スペース・シャトル時代のような大規模ライフサイエンス実験はISSでの実施が難しい.

それでも有人飛行の最初期に懸念された循環機能の低下は運動と帰還直前の補水でほぼ対策され,消化機能不全はほとんど起こらず,宇宙機の操縦操作もほぼ地上訓練どおりにできることが実証されている.キャビンに比べて低圧である船外用宇宙服内では減圧症が一定程度発生する予測であったが全く報告がなく謎であった.これについては酸素吸入をしながらの軽作業により体から窒素が抜ける効率が上がることが理解されるまで何年も要した.骨量減少のメカニズム詳細はまだ解明途上であるが,飛行士に関しては栄養と運動での対策(特に大型抵抗運動装置の効果)で骨折事故は防止できている.

大規模太陽フレアによる急性の宇宙放射線被ばくは有人飛行の歴史上,事故レベルと呼ぶべきものは幸い発生していない.ISSでの被ばくは平均約0.5 mSv/日なので半年滞在で100 mSv弱になる.これは一般には大きな値であるが,胸部のX線CTの1回で7 mSvになる医療被曝と比べると甚大な量ではないであろう.

これらの生理変化の概要を医学運用の臨床的な視点から図1図1■国際宇宙ステーション(International Space Station; ISS)で標準の半年滞在を繰り返す場合の生理変化の概念図にまとめた.

図1■国際宇宙ステーション(International Space Station; ISS)で標準の半年滞在を繰り返す場合の生理変化の概念図

横軸は時間,縦軸は症度(またはリスク,上から赤・黄・緑).宇宙酔は初期の数日間繰り返し症状が出る.幅の太い線は個人差を表す.視神経異常と骨粗鬆症については正常群と異常群があると仮定した.視神経変化のループ部分はまだ変化のデータが不十分.宇宙放射線被ばくは太陽フレアの際に大きく増加し後年の腫瘍発現に寄与する.図中で医学運用上の主な課題は帰還時を含む宇宙酔(前庭症状,めまい),視神経異常,尿路結石である(嶋田,2015).

20世紀の宿題「宇宙酔」

図1図1■国際宇宙ステーション(International Space Station; ISS)で標準の半年滞在を繰り返す場合の生理変化の概念図で特異的なのが宇宙酔(前庭症状,めまい)の反応である.軌道投入の直後からほぼ7割の飛行士で発症する(6)6) NASA: リスク評価,https://humanresearchroadmap.nasa.gov/intro/, 2016..悪心が少ないのに突然嘔吐が繰り返し起こるのが地上の動揺病と異なる.地上帰還時には再び強い前庭症状が現れるので緊急脱出の妨げとなる.米国で重視されていなかった時代に,ソ連のボストーク・カプセルはキャビンが広くて動き回れたため最初の宇宙酔の報告がガガーリンからになったと言われている(7)7) 肥塚 泉:臨床神経,52, 1318 (2012).

アポロ計画の時期からNASAは宇宙酔の治療,訓練または薬剤による予防,酔わない飛行士の選抜について多額の費用を投じて研究を行ったが芳しい結果は得られなかった.飛行士の選抜で対策しようとしても,船酔いはしないが宇宙酔になる人がいるのである.ロシアでは打上前に回転椅子上で頭を振って前庭系にgyro coupling刺激を与えると対策になるとして長年実施しているが明らかな生理学的データはない.繰り返して飛行しているコスモノートが飛行前に実施するので聞いてみると「効くようだ」,という返答がきた.

幸いにも宇宙酔にはNASA医師飛行士により有効な対症療法が「発見」され,プロメタジンの就寝前の筋肉注射が著効した.これにもわかりやすい説明はない.この筋注は局所副作用のため地上で使用されなくなり,以前からの経皮スコポラミンや経口メクリジンに変わっている.

一方,宇宙酔の発症メカニズムの探求は継続して進められた.前庭系実験ではシャトルに積んだSpacelab実験室で温度眼振が誘発されたため1914年のノーベル医学生理学賞成果の一部である,内リンパ対流で眼振が起こるという説が否定されるという成果があった(8)8) 野村泰之:Equilibrium Res., 68, 149 (2009)..後続実験はなく,対流に代わる説は未確立である.

宇宙酔のメカニズムに直接切り込むために,偏心できる回転椅子に被験者を乗せる大規模な実験が1998年にシャトルNeurolabで実施されたが結果は予想と大幅に異なるものとなった(7)7) 肥塚 泉:臨床神経,52, 1318 (2012)..これも後継実験ができないまま現在に至っている.宇宙酔の機序は各感覚器入力間の不整合によるものだ,とされることも多いが,生理学的説明としてはいささか観念的である.また一連の反応の転帰が「嘔吐」であることの生物学的理由についても良い説明はない.

20世紀に出された宇宙医学の宿題への回答は残念ながら未完なのである.

21世紀の宿題「眼異常」

軌道上では遠視の傾向になることは以前から知られており,大気擾乱がないことも相まって,前出のポリャコフ飛行士は木星のガリレオ衛星が見えるようになったと報告している(9)9) ワレリー,V. ポリャコフ:“地球を離れた2年間”,WAVE出版,1999..ところが近年になりISS飛行士で地上帰還後に視力の若干の低下が回復しない例が発見され,さらに軌道上で視野に暗点を呈した例が発生し,眼底写真で視神経乳頭浮腫が確認されて飛行士全員の眼の健康管理と病因解明が急務となった(10)10) T. Brunstetter: SANS Introduction, https://ntrs.nasa.gov/archive/nasa/casi.ntrs.nasa.gov/20170009173.pdf, 2017..NASAでは研究費を配分し,眼の検査のためISSには眼底カメラ,さらにOptical Coherence Tomography(OCT)が打上られた.網膜断面を詳細に画像化できるOCTの発明者は日本人であり国内では特許が取得されている.OCTを活用して初期の地上研究で活躍した日本人研究者もいる(11)11) A. Shinojima, K. Iwasaki, K. Aoki, Y. Ogawa, R. Yanagida & M. Yuzawa: Aviat. Space Environ. Med., 83, 388 (2012).

飛行士はほとんどが軌道上にて顔が膨らみMoon Faceを呈する.また足が鳥のように細くなる.これらは重力による体液の引きがなくなる静水圧の効果として解釈される.眼の問題もNASA関係者はまず脳脊髄圧の効果と考えてVisual Impairment and Intracranial Pressure(VIIP)問題と当初は呼んでいたが,単純に血圧・眼圧・脳脊髄圧の関係では説明できないことが理解されてきて,Spaceflight Associated Neuro-ocular Syndrome(SANS)と改称した(10)10) T. Brunstetter: SANS Introduction, https://ntrs.nasa.gov/archive/nasa/casi.ntrs.nasa.gov/20170009173.pdf, 2017..Moon Faceはほとんどの飛行士が呈するのに対しSANSは数割であるので眼球側に重要な個人的差異があることが予想されよう.SANS研究の一環として脳MRI画像も計測され,宇宙飛行で脳に形態変化が起こった研究として日米で広く報道された(12)12) D. R. Roberts, M. H. Albrecht, H. R. Collins, D. Asemani, A. R. Chatterjee, M. V. Spampinato, X. Zhu, M. I. Chimowitz & M. U. Antonucci: N. Engl. Med., 377, 1746 (2017)..著者のRoberts氏と話す機会があったが,次の資金源を探しているとのことでどこでも楽ではなさそうだ.MRIでは脳の上方への偏移もあったとされる.もし大脳全体に変化があるのなら前庭系も無事では済まず宇宙酔にも関係がある現象である可能性も否定できない.まだ研究が開始されたばかりの分野であるので日本の若い研究者にも斬新な仮説をもって研究提案をしていただきたいところだ.

図2図2■国際宇宙ステーション(ISS)で1年間滞在した際の健康リスク評価表に,1年間の微小重力環境滞在でリスクと考えられている項目を示す.SANSも未対策のリスク(赤)である.NASAとロシアは数名の飛行士を1年間ISSに滞在させて医学データを収集する計画を進めているが,最初の2名の結果論文が出始めたばかりである.NASAは一卵性双生児の飛行士を地上と軌道上の被験者にして1年研究に参加させ比較を行った.テロメアの長さが長くなった後に短くなったというプレスリリースをご覧になった方も多いかと思う(13)13) NASA: Twins Study, https://www.nasa.gov/twins-study, 2017..ISS上でも小型シーケンシング装置の実証が行われ,医学運用の会議では飛行士被験者の遺伝情報をどう扱うのか議論が続いている.

図2■国際宇宙ステーション(ISS)で1年間滞在した際の健康リスク評価表

横軸に事象の発生頻度,縦軸に障害の程度,色でリスクの高(赤,対策模索中),中(黄,対策確立途上),低(対策済)を示す.NASA2016改変(6)6) NASA: リスク評価,https://humanresearchroadmap.nasa.gov/intro/, 2016.

21世紀初めに出題された宇宙医学の宿題は21世紀半ばまでに回答できるだろうか.SANSは被験者数が少なく,死亡する病気ではないので病理解剖データがないため頼るのは当面,画像診断と遺伝子発現解析になりそうだ.NASAには頭に孔を開けて脳脊髄圧センサーを埋め込んでも良いという飛行士もいるらしいが.

人工重力は活躍できるか

宇宙機を回転させて人工的に重力場を作り人類が長期滞在するという考案の歴史は古く,一世紀ほどになるらしい.米海軍では水平回転の装置の上での居住実験も1960年代に行われている.しかし宇宙機全体または部分を正確に(そもそも独楽の形ではない)安全に安価に回転させる現実的な詳細設計は極めて困難で,NASA本部では火星行き宇宙機の部分または全体回転案を否定している.

人工重力分野で具現性のある提案があるのは短腕の遠心機を船内に設置する方式である.2009年には日本人研究者を代表として直径2.8 mの装置での国際研究提案(AGREE)が行われたが,概念設計の評価の段階で提案時の80 kgから回転部分259 kgに装置が重量化し,ISS全体の強度との整合が疑われてキャンセルされた(14)14) 岩瀬 敏,西村直記,田中邦彦,間野忠明:Space. Utiliz. Res., 30, 1 (2016)..直径が小さいと足にかかるGが大きくなってしまうことを逆に利用し,微小重力に対抗するための自転車運動を同時に行い全体の対策時間長を短縮する優れたアイデアであった.地上実験データも十分であった.

そもそもISSでなければ実現不可能な遠心実験装置が搭載されるのが当初の計画であった.2トンの巨大な小動物遠心機CRを装備した実験室CAMをJAXAが製造しISSに結合する計画である.しかしNASA予算の都合で打上げがキャンセルされた.この打上げにはスペース・シャトルが必要なので現在では不可能である.その後JAXAでは細胞とマウスの小型遠心機を打上げている(15)15) JAXA: 小動物飼育装置実験,http://iss.jaxa.jp/kiboexp/news/20161013_mouse.html 2016.

ISSは2024年で運用終了予定のため,飛行士にどれだけの時間とGの組み合わせで人工重力を負荷すれば長期滞在の悪影響を防げるかを知るための軌道実験は急ぐ必要がある.その前段としてそもそも飛行士がめまいを起こさずに毎日遠心装置を使えるかの試行が必要である.世界の人工重力研究者の間では,「短腕遠心機は実現の回りをくるくると30年も回ってきたが」と自嘲する言い回しがあるくらい,実現に困難があった.しかし現在では条件が変わってきている.JAXAはISSに行く貨物機で直径が一番大きなHTVの軌道上寿命を3カ月から2年間に延ばしてHTV-Xとする計画を進めている.これはISS実験室として使うに十分な期間であるから,HTV-Xに短腕遠心機を組み込んでISSに打上げ,宇宙飛行士用の人工重力装置の運用実証を行うのはいかがであろうか.AGREE提案にかかわった人工重力研究者のJAXA発装置への関心は高く,また宇宙飛行士の健康管理をしている医学運用関係者からも支持を受けており,世界で初めての画期的な試みとなる.NASAとの契約調整は必要なものの,基本的に打上げ用ロケットは貨物輸送用に確保される.遠心機の設計は易しくはないが,人力駆動・停止とし装置の重量を軽減し安全性を確保すればCAM-CRの経験を生かした設計が可能であろう.概念設計の試案を図3図3■JAXAの貨物機HTV-Xに組み込んで国際宇宙ステーション(ISS)に結合する飛行士用短腕人工重力装置の試案に示す.

図3■JAXAの貨物機HTV-Xに組み込んで国際宇宙ステーション(ISS)に結合する飛行士用短腕人工重力装置の試案

(A)人力一輪車で壁に装備したレール上を走行する案(側面図).(B)心棒から懸架した椅子をペダル漕ぎで回転させる案(正面図).

人工重力を微小重力対策に使うことの利点は運動時間の短縮のみならず,SANSを含め今まで発見されていない健康問題をも網羅的に防止することができる可能性が大きいことである.欠点は大きな直径(3 m以上程度)の空間を必要とすること.ただし幅は0.9 mほどあれば良い.短腕遠心機はカプセル型の帰還機には向かないが(NASAはMED-2という小型運動装置を軌道実証中),軌道モジュールを使う火星ミッション機であれば実用的に装備できる装置である.ただし信頼性を高くし,故障しても修理が容易であることがあらゆる運動装置と同様に求められる.小空間での運動にはMED-2とともに,日本で開発された新型の電気刺激装置の併用も考慮すべきだろう(16)16) 志波直人:ハイブリッドトレーニング,http://iss.jaxa.jp/kiboexp/theme/lifeintao2009/hybrid_training/.日本発のライフサイエンスがISSで開花することを願う.

Reference

1) JAXA: 生命科学研究,http://iss.jaxa.jp/kiboexp/field/scientific/#life

2) 矢野幸子:シャトル植物研究,http://iss.jaxa.jp/column/sachiko/vol9.html, 2012.

3) A. E. Nicogossian, R. S. Williams, C. L. Huntoon, C. R. Doarn, J. D. Polk & V. S. Schneider: “Space Physiology and Medicine 4th Ed.,” Springer, 2016.

4) G. Clément: “Fundamentals of Space Medicine 2nd Ed.,” Springer, 2011.

5) M. R. Barratt & S. L. Pool: “Principles of Clinical Medicine for Space Flight,” Springer, 2008.

6) NASA: リスク評価,https://humanresearchroadmap.nasa.gov/intro/, 2016.

7) 肥塚 泉:臨床神経,52, 1318 (2012).

8) 野村泰之:Equilibrium Res., 68, 149 (2009).

9) ワレリー,V. ポリャコフ:“地球を離れた2年間”,WAVE出版,1999.

10) T. Brunstetter: SANS Introduction, https://ntrs.nasa.gov/archive/nasa/casi.ntrs.nasa.gov/20170009173.pdf, 2017.

11) A. Shinojima, K. Iwasaki, K. Aoki, Y. Ogawa, R. Yanagida & M. Yuzawa: Aviat. Space Environ. Med., 83, 388 (2012).

12) D. R. Roberts, M. H. Albrecht, H. R. Collins, D. Asemani, A. R. Chatterjee, M. V. Spampinato, X. Zhu, M. I. Chimowitz & M. U. Antonucci: N. Engl. Med., 377, 1746 (2017).

13) NASA: Twins Study, https://www.nasa.gov/twins-study, 2017.

14) 岩瀬 敏,西村直記,田中邦彦,間野忠明:Space. Utiliz. Res., 30, 1 (2016).

15) JAXA: 小動物飼育装置実験,http://iss.jaxa.jp/kiboexp/news/20161013_mouse.html 2016.

16) 志波直人:ハイブリッドトレーニング,http://iss.jaxa.jp/kiboexp/theme/lifeintao2009/hybrid_training/