巻頭言

次の100年に描く夢

阿部 圭一

Keiichi Abe

国立健康・栄養研究所

Published: 2018-02-20

2017年4月,民間企業出身では初めての国立健康・栄養研究所の所長に就任した.国立健康・栄養研究所は,農芸化学会創設の4年前にあたる1920年9月に世界で初めて国立の栄養研究所として設立された.設立者は,「栄養の父」とも称される医師,佐伯矩博士である.「営養」とも記されていた表記を「栄養」に統一する提案をしたことで,以降表記は定着した.また,当時,国民病であった脚気の原因が精白米食によるものであり,米糠が脚気を予防できることが解明されると,安価でかつ消化吸収,美味しさも考慮した現実的対処方法として,七分精米の無洗米を食べることを推奨した.これにより,多くの国民を脚気から救ったという功績が残されている.そして,米糠中に抗脚気作用を示す栄養素オリザニンとして,ビタミンB1を発見したのは,日本農芸化学会を創設した鈴木梅太郎博士の大きな功績である.黎明期の農芸化学の発見が,栄養学を通じて,国民の健康維持につながったリレーの歴史があった.

農芸化学と栄養学はともに,間もなく次の100年の歴史を迎えようとしている.歴史を振り返りながら,新たに前向きな大目標を設定することが必要な節目と考える.2017年9月に一億総活躍社会実現という旗のもと,人生100年時代構想推進室が内閣官房に設置された.100歳まで寿命を延伸するという大きな命題に加え,いくつになっても新しいことにチャレンジすることができる社会づくりを目指すという議論が始まった.農芸化学と栄養学にとっても,こうした社会実装課題は,次の100年の歴史をつくるための大きなチャレンジ目標になるものと考える.

農芸化学研究のチャレンジの歴史を振り返ると,2017年ガードナー国際賞を受賞された遠藤章先生のコンパクチンの発見と研究のブレークスルーが,まず思い浮ぶ.微生物研究者,生理活性物質研究者をはじめとする多くの研究者にも賛同いただけるものと思う.この糸状菌由来生理活性物質コンパクチンの発見が,のちにノーベル生理学・医学賞を受賞した米国のゴールドスタイン,ブラウン両博士によるコレステロール代謝研究に大きく貢献した.このことは,多くの研究者に夢を与えてくれた.学術的な成果だけにとどまらず,世界一の売り上げを誇ったコレステロール低下薬,スタチンの世界的開発競争につながる大きな発見としても語り継がれてきた.しかし,コンパクチン開発の初期にはラットに効かなかったことで,普通なら医薬品としての開発の途は途絶えかけていた.この状況を乗り越えたのは,まさに遠藤先生の深い科学的洞察力と執着心によるもので,まさに大きなブレークスルーがあった.

私のような研究者にとっては,こうしたブレークスルーを達成するのは難しいが,それに近づく方法はあるように思う.ヒントとなるのは,遠藤先生が今回のガードナー国際賞受賞の際に語った「大きな夢と目標をもって,それに向かって努力してほしい」という言葉である.何よりも重要なのは,仲間や研究者と夢の議論を交わすことかと思う.それぞれの夢を膨らまし,その実現に向けた議論の中から,ブレークスルーにつながるチャレンジの道筋を見つけることができるかもしれない.

農芸化学は,世の中の役に立つ,そしてオープンな学問という特徴を有する.100年前のビタミンB1の発見や,コンパクチン発見が,数々の連携を通じて大きな成果,社会貢献につながっている.オープンディスカッション,連携がなじむ研究分野として,改めて農芸化学研究の可能性の大きさに気づかされる.

これまで,酵素,微生物,生理活性物質など,遠藤先生とキーワードが重なる研究にも携わってきた.もしかすると,セレンディピティの神がすぐ近くに来ていたのかもしれない.それを見逃さないサイエンス洞察力,夢に向かってチャレンジする姿勢,そして途中であきらめない執着心が十分あっただろうかと,今さら心配になる.自問の中で振り返ると,これまでの多くの研究や夢の議論のシーンが思い出される.そんなシーンでいつも寄り添ってくれていたのは酒と研究仲間だと気付く.そして,研究仲間の間で歌い継がれてきた歌が遠くから聞こえてきた.

「楽しさは,酒の中から湧いてくる,酒の中から,ドントドントドント,湧いてくーるー♪」