特集

元祖スタチン(コンパクチン:ML-236B)の初期臨床開発(回想録)

Akira Yamamoto

山本

国立循環器病研究センター研究所名誉所員

Published: 2018-02-20

遠藤 章先生によって発見された世界最初の本格的抗コレステロール薬(コンパクチン,ML-236B)を,世界で初めて難治性重症高コレステロール血症の患者さんに使わせていただく光栄に浴したものとして,先生のガードナー国際賞受賞を心からお祝い申し上げます.現在,高脂血症治療の第一選択薬として広く使われている数種のスタチンは,すべてML-236Bを雛型として開発されたものであり,先生のML-236B開発にかけたひたむきな努力と,苦難と挫折を何度か乗り越えてこられた忍耐の賜物であります.私と先生の付き合いはすべてこのスタチンとともにあり,ここでは当初の臨床開発の軌跡をたどることによって治療にかけた情熱を皆様と分かち合いたいと思います.

私が遠藤先生と懇意にしていただくようになったのは,私が阪大から国立循環器病センターに移る少し前,先生が「医学の歩み」と「生化学」に寄せられたLDLレセプターについてのGoldstein, Brown両博士の仕事の解説を読み,また日本脂質生化学研究会で先生のML236Bについてのお話を伺ったのが始まりでした.当時(1976~1977年頃),私は阪大・付属病院の内科で肥満と高脂血症の専門外来を担当していたのですが,家族性高コレステロール血症という代謝異常症,しかもホモ接合体で,血清コレステロール値が1,000 mg/dLもある若い患者さんを前にして,治療に難渋していたところでした.当時17歳の高校生はコレステロールを多量に蓄えたマクロファージの集簇のため,アキレス腱が肥厚し,皮膚には肘や膝などに黄色腫ができていました.

本人はまだ美容上のことが気になる少女でしたが,すでに狭心症発作が始まっていて,いつ致命的な心筋梗塞が起こってもおかしくない危険な状態にありました.しかし,当時の主要な抗高脂血症薬はatromid-Sという,主にトリグリセライドを下げるフィブラート系の元祖薬だけで,この患者さんのようにコレステロールだけが高い場合には無効であり,コレステロールに効くコレスチラミンという薬も,当時の日本では胆汁性肝硬変という特殊な疾患を対象とした治験が始まったばかりでした.しかも,文献によれば,この薬もヘテロ接合体では効くものの,コレステロール値が600を超えるホモ接合体の場合は無効,あるいは,逆に高くなると記載されていました.間もなくクリニックにはもう一人2歳の子どもさんも受診され,皮膚の線維芽細胞を使った診断1)1) A. Yamamoto, A. Endo, Y. Kitano, A. Okada, K. Ishikawa, T. Kuroshima & I. Kaneko: Jpn. J. Med., 17, 230 (1978).をお願いするため,当時の三共の古い発酵研究所の遠藤先生の研究室を訪ねることにしました.

治療法を模索するうちに,当時阪大の小児外科の主任であった岡田 正講師(後に教授)から,「経口摂取をやめて完全持続静脈栄養を行うとコレステロール値が下がる」という耳寄りな話を聞き,早速行ってみました.アメリカ人向けのやり方(栄養量)ではうまくいきませんでしたが,カロリーを体重が減らないぎりぎりの線まで絞り込むと効果が表れ,500 mg/dLを少し切るくらいまでコレステロール値を下げることに成功し,さらに十二指腸にカテーテルを入れ,ここからの持続点滴を行うことによってもほぼ同じ効果が得られることがわかりました1)1) A. Yamamoto, A. Endo, Y. Kitano, A. Okada, K. Ishikawa, T. Kuroshima & I. Kaneko: Jpn. J. Med., 17, 230 (1978)..しかし,1日24時間にわたって栄養液を注入し続けることは,当時の器具では,患者さんにとっては動きがとれない状態を生むことになり,しかもコレステロール値が半分に下がったといっても,まだ500近くあり,粥状動脈硬化の進展抑制には至らず,ましてや治癒に導くことは不可能でした.当時,門脈を下大静脈に吻合して,腸管から肝臓に流入する栄養素とインスリンを減らすことも試みられていたのですが,毒素であるアンモニアが体循環に入って脳症を起こす副作用を避けられず,また肝臓移植も,免疫抑制療法が確立されていない当時では,すぐに応用できる状態にはありませんでした.後に,この患者さんをはじめ,多くのホモ接合体の方々は,わが国で飛躍的に発達したアフェレーシス療法によって救われることになるのですが,それはまだ数年先のことでした.

決定的な治療法のない状態の下で,遠藤先生のML236Bの話は,われわれにとって,降って湧いた贈り物だったのです.先生からいろいろな情報をいただくことで,動物実験での安全性もほぼ確保できていると判断し,「ML236Bを緊急にこの患者さんに使わせてください」と申し出たのは1977年8月のことでした.当時,私は阪大の講師であったとは言え,長老が多くおられる内科の世界ではまだまだ若輩者で,顔を利かせるような立場にはなく,遠藤先生がML-236Bを臨床開発に乗せるうえでさまざまな抵抗や苦渋を味わっておられたことや,当時の会社(三共)とメルクの関係,またGoldsteinとBrown両博士からML-236Bを彼らの患者への使用の申し入れがあったことなど,全く知りませんでした.

高コレステロール血症に対する決定的な治療法のないままに,少女は阪大心臓外科の同期生川島康生講師とその後輩の北村惣一郎助手(いずれも後に国立循環器病センター総長)による冠状動脈閉塞に対するバイパス手術を受け,一応成功したものの,何時また再発するかもしれず,当時の私どもにとっては,ML-236Bのできるだけ早い使用が頼みの綱だったのです.翌1978年の初め,一時はあきらめかかっていた矢先に,思わぬ朗報がもたらされました.遠藤先生から直々に薬をいただけることになったのです.開発の顧問をしておられる日本動脈硬化学会の重鎮の一人から,「アメリカに渡すより日本でやらせてみては」という話があったとか.一部の動物実験で得られた肝細胞の病理学的異常所見のために開発が一時危機的状態に陥りかけたという話も後から聞いたのですが,研究所の有馬所長も危機打開のために苦渋の決断をされたようです.

遠藤先生との打ち合わせで,LDLレセプターが欠損しているためにコレステロール合成はかなり上がっていると推測し,用量はイヌとサルの実験結果から算出した推定有効用量の10倍量の高め(250 mg×2回/日)で処方することにしました.2週後の血液検査の結果は上々でした.コレステロール値は薬物治療前(食事療法後)の850から680 mg/dLに20%も下降したのです.早速,遠藤先生に電話して喜んでいただいたのですが,数日後に,結果は暗転しました.2~3日の脱力感の後,少女はベッドに上がれず,さらには歩けなくなったのです.まさに,躯幹に近い四肢筋肉が麻痺する筋ジストロフィーの症状で,血液化学検査でも筋肉の酵素(CKとGOT)が著しく増えていました.これはスタチンによる横紋筋融解症の発症の世界で最初の経験でした.

2日後大阪に来て実情をご覧になった遠藤先生は落胆の色を隠せませんでした.しかし私は,少し違っていました.頸部に聴診器を当てて動脈硬化による心雑音を何時ものように聴診したとき,その音が非常に弱くなっていることに気づいたのです.薬を中止した後,少女の筋肉の麻痺は間もなく回復し,数日後にはベッドにも上がれるようになりましたが,その間に私が見たのは,皮膚の黄色腫の退縮でした.医師としてすべき基本的な診察の結果は,私を落胆から立ち直らせ,すぐにML236Bを用いた次の治験に進む勇気を与えてくれました.主任の西川教授は「この薬は使えないね」と一度はおっしゃったものの,私の「用量を減らせば使えるはずです」の言葉に反論はせず,任せていただくことになりました.

図1■コレステロール合成阻害剤(MC-236B)の大量投与による皮膚黄色腫の退縮

(19歳女子,アキレス腱部)

山本 章,首藤弘史:脈管学,21, pp. 815–817 © 1981 一般社団法人日本脈管学会より転載.

私は,アメリカ留学から帰って間もなく(1968年頃)に,ある心臓薬(商品名:コラルジル:化学名diethylaminoethoxyhexesterol)の副作用に出会いました.丁度,私どものグループが研究対象としていた脂質代謝異常が主たる症状になっていたので,われわれの内科の共同作業によって早期に原因が解明され,厚生省と製薬会社への対応も早く適切に行われたために,スモン,サリドマイドほど大きな社会問題にならずに収束させることができました.それでも,すべての解決に数年を要し,薬の作用・副作用についてかなりの勉強が必要でした.最も単純な事項を挙げると,その薬はラットやマウスには効いたのですが,人はそれを代謝する能力が低く,プロドラッグの形で蓄積したのです.薬物代謝の動物種属間の違いは本当にデリケートなものです.こうした経験が,今回のML-236Bの効果の判断に役立ったのみならず,主任の西川教授,厚生省,ならびに学会の関係者の信頼を得るのに大きく役立ちました.

今回の治験を始める前に,私は厚生省の薬務局や医務局を訪れ,「医師は危機的な状態にある患者のためになると判断したときは,無認可の薬でも使用してもかまわない(もちろん医師個人の責任のもとで行う)」ことを確認していました.当時,われわれの教室では,カネミオイル事件で有名になった化学物質を副腎腫瘍の治療に使うために輸入したこともあったと聞いています.予測していなかった副作用が起こったとはいえ,薬を止めることで数日の間に症状が消失したことからML-236Bの治験継続を決断したのですが,血管雑音の減弱と黄色腫の退縮は私の気持ちを強く後押してくれました.

私は,グループが診ていたもう一人の少女の患者さん(前出)のお父さんに事情を話し,ML-236Bを服用してもらうことにしました.250 mg×2回/日の10日間で血清コレステロール値は320から180 m/dLに低下,以後,動物実験の結果から得られた推定有効用量の50 mg/日まで減量して,血清コレステロール値は250 mg/dL程度に安定しました.続いて,この方以外で家族性高コレステロール血症ヘテロ接合体と確診された患者さん3人と,コレステロールとともにトリグリセライドも高い複合型高脂血症タイプの4人に薬を投与し,すべてに有効(50~100 mg/日でコレステロールが23~31%低下)の結果を得ました.また,もう一人のホモ接合体の3歳の少女には150 mg/日の用量を長期投与した結果,コレステロール値は14%低下し,この間,これらの症例すべてで筋肉の副作用は見られませんでした.なお,ML-236Bを用いた早期治験の間,薬剤の分包は遠藤先生自らの手によって,研究所内にある小型分包機を使って行われたと聞いていましたし,先生の著書「自然からの贈り物」にも記載されています.

ついでのことながら,ヘテロ接合体への投与を始めた際,私自身も200 mg/日の用量でML-236Bを2週間服用してみました.この間,異常事象として,たまたま風邪をひいていたとき,帰宅の車中で脳貧血状態となり,隣り合わせた人に助けてもらったことを1回,町を歩いていて突然すごい空腹感に襲われ,近くの蕎麦屋に飛び込んだことを1回,経験しました.後日,プラバスタチンの治験中に,同僚の都島基夫医師から「空腹感を訴える患者さんが数人いた」という話を聞いたことがあり,薬の副作用ではないかと今も興味をもっています.

これらの初期臨床成績の結果は1979年11月の第5回国際動脈硬化シンポジウム(ヒューストン)で発表,翌年にはヨーロッパ動脈硬化学会の機関紙(Ateroslerosis, 1980年)に掲載されたのですが2)2) A. Yamamoto, H. Sudo & A. Endo: Atherosclerosis, 35, 259 (1980).,学会での聴衆は少なく,論文の方も大きな反響は見られませんでした.スタチンが一般社会での脚光を浴びるようになったのは,日本で正式の治験が始まり,馬淵 宏先生の家族性高コレステロール血症に対する効果の論文(New Engl. J. Med., 1981年)がNew York Times紙上に紹介され,Goldstein, Brown両博士によって「遠藤先生のコンパクチンの発見はペニシリンの発見につぐ快挙といえるだろう」と指摘されてからのことです.

この間,遠藤先生を悩まし続けた「肝細胞内のコレステロール結晶の発生」問題もどうやら片付き,三共本社の新薬開発部門は,遠藤先生の所属している発酵研究所を含む研究所の各部門とともに次期新薬開発に舵をとり,1978年9月,慶応大学の五島教授の元に正式の第1相試験,1979年3月に軽症患者を対象とする用量決定試験に続いて,8月に国内10数施設による前期第II相臨床試験が始まり,期待された通りの効果が確認されました.ところがこの結果が1980年5月ミラノで開催されたDALM国際シンポジウムで発表されて僅か3カ月後,突如として三共は開発中止を発表.理由はイヌを使った長期毒性試験で腸管にホジキン病様のリンパ腫ができたということでしたが,用量が100~200 mg/kg/日という高濃度で,果たして発がん性として取り上げてよいかどうか,いまだに謎に包まれています.

これでML-236Bの「正式の薬」としての誕生はなくなったのですが,その後,三共は分子に水酸基を導入して,より安全な薬(プラバスタチン)を開発,またメルクも一旦は開発を諦めかけたものの,新しくシンバスタチンを開発,その後,ファイザーとアストラゼネカの間に有名なスタチン戦争を生むなどスタチン花盛りの時代を迎えたのです3)3) 山本 章.コレステロールを下げる.中外医学社,2008年.

ML-236Bによる治療の最初の対象となった若い女性患者の後日談ですが,横紋筋融解症の副作用から回復した後,200 mg/日の投与を6カ月にわたって続けることにより,血清コレステロール値は徐々に下って620 mg/dLまで低下,皮膚の黄色種が顕著に退縮しただけでなく,アキレス腱の肥厚も縮小しました4)4) 山本 章,首藤弘史:脈管学,21, 815 (1981)..しかし,それでも狭心症発作が再発し,北村教授による再度のバイパス術を受けましたが,幸いにして,その頃には確立されていたLDLアフェレーシス療法を続けて受けることができ,以後,冠状動脈の狭窄部の進展なく,結婚して1児をもうけることができました5)5) A. Yamamoto, S. Kojima, M. Harada-Shiba, Y. Toyota, M. Takamiya, M. Tsushima, B. Kishino, N. Koga & R. Tatami: Ann. N. Y. Acad. Sci., 748, 429, discussion, 439 (1995).

図2■図1と同一症例におけるアキレス腱のレントゲン像

山本 章,首藤弘史:脈管学,21, pp. 815–817 © 1981 一般社団法人日本脈管学会より転載.

家族性高コレステロール血症ホモ接合体の最大の特徴は,大動脈起始部と大動脈弁に強い変化があることと,一旦障害を受けた(粥腫による異常)内膜の病変は少しくらいコレステロール値を下げても治らないことです.これはLDLレセプターを欠いたマクロファージあるいは平滑筋細胞・線維芽細胞が無秩序なコレステロール合成と増殖を起こすためと考えられます.これを治すためには副作用が出るくらいの強力なコレステロール合成の抑制が必要なことも今回のML-236Bを用いた治験でわかったことですが,真の解決にはやはり遺伝子レベルでのアプローチが必要です.

今回の早期治験では,動物実験で見られなかった横紋筋融解症という重大な副作用のあることもわかりました.薬物の開発にマウスやラットを使った動物実験が不可欠という時代は終わろうとしていますが,それでも毒性試験は欠くことができません.薬物開発には,医療と同様に,広い視野に基づく観測と深い経験に基づく解釈が不可欠です.必要に迫られての薬の治験が多くの有意義な結果を与えてくれたことに感謝しながら,そしてこのような機会を与えていただいた遠藤先生,有馬所長をはじめ,当時の三共発酵研究所のグループの方々に感謝しながら,この回想録を締めくくりたいと思います.

Reference

1) A. Yamamoto, A. Endo, Y. Kitano, A. Okada, K. Ishikawa, T. Kuroshima & I. Kaneko: Jpn. J. Med., 17, 230 (1978).

2) A. Yamamoto, H. Sudo & A. Endo: Atherosclerosis, 35, 259 (1980).

3) 山本 章.コレステロールを下げる.中外医学社,2008年.

4) 山本 章,首藤弘史:脈管学,21, 815 (1981).

5) A. Yamamoto, S. Kojima, M. Harada-Shiba, Y. Toyota, M. Takamiya, M. Tsushima, B. Kishino, N. Koga & R. Tatami: Ann. N. Y. Acad. Sci., 748, 429, discussion, 439 (1995).