特集

世界の基礎医学と臨床医学をかえたスタチン

Tatsuhiko Kodama

児玉 龍彦

東京大学先端科学技術研究センター

Published: 2018-02-20

遠藤 章博士によるスタチンの発明は,人類史上はじめてコレステロール合成の本格的な制御を可能にし,肝臓やマクロファージをはじめとするヒトの細胞におけるコレステロール代謝の解析が大きく進み,メガスタディによる動脈硬化の予防の実証を可能にした.そのインパクトは20世紀の世界の医薬品開発と臨床医学を大きく変えた.年1兆円以上のブロックバスターを生み出し,グローバルなメガファーマの成立をうながした.だが,スタチンの影響はそれにとどまらない.コレステロールのメガスタディの評価は新たな論争を生み出し,単純化した標準治療や,コレステロールをはじめとする脂肪制限の栄養学には大きな批判も生まれている.スタチンの多面的作用の検討から,人体内の神経,血管,骨免疫系などにおける膜脂質とベシクル輸送におけるコレステロールのシグナル分子としての役割を明らかになりつつある.遠藤章博士のスタチンの発見は,医学薬学のパンドラの箱をあけ,21世紀の生命情報科学の創成をうながしている.

動脈硬化の成因をめぐる議論とコレステロール(図1

ヒトは血管とともに老いるといわれ,高齢化社会とともに脳血管障害,虚血性心疾患,末梢動脈疾患などにかかわる動脈硬化の治療法の確立は医学薬学の中心的課題である.歴史的には,19世紀から,動脈硬化の成因をめぐってはコレステロールなど脂質の蓄積を原因とする「脂質説」,血小板の凝集や血栓の形成を原因とみる「血栓説」,白血球の浸潤など「炎症説」がとなえられ,長年にわたり論争が繰り広げられてきた.コレステロールの重要性を決定付けたのは,皮肉なことに1950年代の朝鮮戦争で死亡したアメリカ軍兵士の若者の三分の二にplaqueが形成され,三分の一が狭窄を伴う動脈硬化病変を形成していたというJAMAの病理解剖の文献であった.この論文は,一見健康に見える若い兵隊がコレステロールの蓄積を伴うアテローム性の病変を若年期から形成していることを証明し,コレステロール治療の必要性を医学薬学界に印象付けたといえる(1)1) W. F. Enos, R. H. Holmes & J. Beyer: JAMA, 152, 1090 (1953).

図1■動脈硬化の成因の3つの考え方

遠藤章博士は,1957年,三共へ入社後,りんごやぶどうのペクチンを分解し,果汁を採取しやすくするペクチナーゼの研究に従事され,それが一段落したあと,1963年ごろからコレステロールの合成経路を明らかにしつつあったコンラード・ブロックの業績と誠実な人柄にひかれ,コレステロールに興味をもつようになる.しかし,ブロック,バジェロスと時期的におりあいがつかず,1968年,ニューヨークのアルバートアインシュタイン大学のホレッカー研究室に留学される.大腸菌のリポポリサッカライド(LPS)の糖転移酵素の従事しながら指導にあたった臨床医出身のロスフィールド博士から心臓病や高コレステロール血症について話され,コレステロールの低下薬のない問題を初めて知られた.留学中に,コレステロール合成経路から低下薬へ関心が移られた.

遠藤博士によるコンパクチン発見と臨床効果の証明

筆者が臨床に携わり始めた1970年代には,コレステロールを低下させるのに実践的に有効派薬はほとんどなかった.ビタミンB群の一つであるニコチン酸は,欠乏するとペラグラと呼ばれる皮膚,消化器,神経の病気となる.その治療に,ニコチン酸を投与するとき,大量に投与すると血中の中性脂肪とコレステロールが低下することが知られ,臨床への使用が試みられていた.ニコチン酸は血液中の脂質では中性脂肪の多いVLDL(超低比重リポタンパク質)は減らすが,コレステロール輸送の中心であるLDL(低比重リポタンパク質)は弱く,また顔面の紅潮,消化器症状が強く長期の使用はなかなか困難であった.植物ステロールやさまざまな治療薬が試みられたが,安定した効果を得るのは難しく,動脈硬化の予防にはとてもたどりつけなかった.中性脂肪には,農薬から発見され後にPPARの活性化剤と判明したフィブレートが用いられるようになっていた.脂質の吸収抑制に,イオン交換樹脂のコレスチラミンが胆汁酸の排泄を促進し,コレステロールの一定の降下には有効であると確認されたが1日の投与量が15~30 gと多く,なかなか持続服用は一般化しにくかった.

遠藤博士は,1968年,微生物から外敵に対しコレステロール合成を阻害する抗生物質が精製されるのではないかという戦略的な視点で,HMG-CoA還元酵素の阻害物質を系統的に探索を進められ,ML236Bコンパクチンの発見,精製に成功される.筆者は東大第三内科の板倉弘重博士のもとで高脂質血症外来に加わりコンパクチンの治験の解析に加わった.遠藤博士は1979年で三共を退職され,農工大に移動され,農工大の研究室を訪れて,東大病院での患者検体からのカビの収集を依頼された.

山本章博士の最初の臨床使用は1979年の日本動脈硬化学会,1980年にはミラノで開かれたDALM(Drug Affecting Lipid Metabolism)ミーティングで,コンパクチンは患者さんでコレステロール値を急速に低下させ,黄色種を退縮させるが,過量となると筋肉障害を生み出すことが報告され,臨床量の設定が鍵と考えられた.コンパクチンは家族性高コレステロール血症の改善に著効を上げ,特にコレスチラミンとの併用によりLDLコレステロールの50%もの低下をもたらす画期的な効果を生み出すことが,金沢大の馬渕博士によりN. Engl. J. Med.誌に報告されたが(2)2) H. Mabuchi, T. Haba, R. Tatami, S. Miyamoto, Y. Sakai, T. Wakasugi, A. Watanabe, J. Koizumi & R. Takeda: N. Engl. J. Med., 305, 478 (1981).,1980年,三共は開発を中止する.三共からは明確な学術的な資料の提供はないままに,コンパクチンには発ガン性があるという噂が流され,特にイヌの実験で腸に異常細胞,悪性リンパ腫の発生が疑われるという情報を多方面から聞かされた.

筆者は当時,三共の幹部にコンパクチンの開発継続を切望するが拒否された.その席に,のちにメバロチン開発にかかわる中村和男氏が同席され,何とかされたいと述べていただいたことが印象に残っている.

中止前後,会議で,治験の中心的な医師から,「特異な遺伝性疾患である家族性高コレステロール血症でなく栄養過剰の普通の患者さんに効くかが重要」という発言に極めて大きな違和感をもった.遺伝学の常識からすれば,コレステロールのレベルには既知のものだけでなく未知のものも含め,遺伝的素因は大きな影響を与えるものであること,遺伝的素因のわかっているものこそ薬のメカニズム解明につながること,という学問的常識が通用しない議論に,歯がゆい思いがした.筆者自身は,コンパクチン開発中止後,東京大崎駅近くの三共発酵研の辻田博士のもとでHMG-CoA還元酵素のアッセイ方法を習いながら,スカベンジャー受容体のクローニングを志し,京都大学の北徹博士の紹介と,農工大に移られた遠藤章先生の推薦でMITのクリーガー博士の研究室へ留学することになる.

スタチンで肝臓とマクロファージのコレステロールの制御経路が明らかとなった(図2

筆者のMIT留学中にメルク社でロバスタチンの治験が始まる.1985年10月,LDL受容体の発見者のジョセフ・ゴールドシュタイン博士と,マイケル・ブラウン博士がMITを訪問され,スカベンジャー受容体の精製などの進捗を話した.翌朝,研究室へいくと大騒ぎになっており,ブラウンとゴールドシュタイン両博士がノーベル賞受賞を通知されたことを教えられ,彼らの記者会見の場所の準備に追われた.すぐダラスへ帰ることになった彼らが車に乗るとすぐスカベンジャー受容体の精製の話に戻ったことが大きな印象となっている.

ブラウン博士とゴールドシュタイン博士の発見は人体内でのコレステロール代謝とその制御の原理の解明である.コレステロールの合成は,細胞のコレステロールを感知するフィードバックのしくみによりHMG-CoA還元酵素の遺伝子発現が精密に制御されている(図2図2■LDL受容体とスカベンジャー受容体とスタチンの効果).

図2■LDL受容体とスカベンジャー受容体とスタチンの効果

スタチンを投与すると,肝臓の細胞内のコレステロールの濃度を感知して,HMG-CoA還元酵素の遺伝子発現が誘導され,細胞内のコレステロールレベルは元に戻る.だがそのとき,肝臓に血液中からコレステロールを取り込むLDL受容体の遺伝子も誘導され,血液中のLDLコレステロールも低下する.LDLが血液中に滞留すると,血管壁に沈着し,変性する.マクロファージは血管壁に変性LDLが蓄積すると内皮細胞の下に潜り込み,スカベンジャー受容体を介してコレステロールを取り込み,泡沫細胞に変化する.LDL受容体が遺伝的二欠損する家族性高コレステロール血症では,血管壁へのLDLの沈着とマクロファージの泡沫細胞化によるプラーク形成が顕著に進み虚血性心疾患が30歳代から統計的に有意に増加する.LDL受容体欠損のホモ接合体にはスタチンはLDL受容体を誘導できないため,有効でないが,ヘテロ患者や部分的欠損には有効である.また食事で多量のコレステロールを摂取している一般の人でも,コレステロールの内因性の合成を抑え,スタチンは肝臓のLDL受容体を誘導し,血液中のLDLコレステロールを低下させ,動脈硬化の予防につながる.筆者は1990年のウシのマクロファージからスカベンジャー受容体を精製し,遺伝子クローニングに成功し,彼らの予言を証明した(4)4) T. Kodama, M. Freeman, L. Rohrer, J. Zabrecky, P. Matsudaira & M. Krieger: Nature, 343, 531 (1990).

遠藤博士は1979年2月,モナスカス・ルーバー株から,新しいスタチンモナコリンKを発見し特許化した.これはロバスタチンと同じ物質であり,メルク社のアルフレッド・アルバーツは,ロバスタチン特許を1979年6月に出願して開発を進めていた.

三共がコンパクチンの開発中止を決めた当時のメルク社長は,ワシントン大学教授から転じたロイ・バジェロス博士であり,彼は国際ビジネス責任者のバリー・コーエンとともに来日し,三共に情報提供を求めるが,三共は断る.そこで,ブラウン博士とゴールドスタイン博士は,遠藤博士に対してコンパクチンのイヌでの腫瘍発生との情報への意見を求めた.遠藤博士は,コンパクチンの腫瘍催奇性は考えにくいことを述べた.彼らはスタチンを用いて培養細胞で実験を進め,スタチンを多量に投与するとHMG-CoA還元酵素,HMG-CoA合成酵素のタンパク質が多量に蓄積することを発見し,そこからHMG-CoA還元酵素の精製と遺伝子クローニングにも成功した.三共が腫瘍と見間違えた染色される物質は,HMG-CoA還元酵素とHMG-CoA合成酵素を多量に発現した細胞内小器官をと考え,ロバスタチンの開発を進めた.

メルク社は1987年にロバスタチンの医薬品としての承認をFDAから得て発売を開始し,世界42カ国で発売され,同社は世界一の製薬企業に押し上がった.

ブロックバスターとグローバルメガファーマを成立させたスタチン

スタチンは血液中のコレステロールを低下させ,特にLDLコレステロールを低下させる.スタチンの効果がLDL受容体遺伝子の発現を亢進させることは,血液中のHDLコレステロールが増加することも類推された.コレステロール合成を阻害する薬はHDLコレステロールを低下させる場合が多かったからである.

スタチンの売り上げは,世界中で劇的に増加し,日本でも遠藤博士のもとで開発を進めていた辻田博士らにより三共から1980年,プラバスタチンが特許出願され,中村氏らにより開発が進められ1989年にメバロチンとして販売が開始される.メルクもロバスタチンに加えてシンバスタチンを,ワーナーランバート(のちにファイザーに買収される)がアトロバスタチンを開発する.アトロバスタチンは,年間売り上げが100億ドル(1兆円)を超えた最初の薬剤となり,売り上げトップのスタチンを開発した企業が,世界のトップ製薬企業になる状態が1990年代から21世初頭まで続いた.スタチンの2004年から2012年の世界での年間売り上げ総計は,2兆5千億円を超え,グローバルなメガファーマの成立を促した.

生活習慣病に本格的に効果が期待されるスタチンの巨大な売り上げは,スタチンが本当に動脈硬化性疾患に有効かを問う数千人から数万人規模の臨床追跡試験,メガスタディが求められる契機となった.

メガスタディデータの次元圧縮の諸問題(図3

LDLコレステロールが高いと虚血性心疾患の発症が高い相関があるのはよく知られるが,LDLコレステロールを低下させれば虚血性心疾患の発症を低下させられるか,その効果はスタチンの費用に見合ったものか,メガスタディは医療経済上の要請からも求められるようになった.

1994年に発表されたシンバスタチンの4Sスタディは,4,444人の狭心症または心筋構想の既往のある患者を,シンバスタチン投与群とプラセボ群で生存率,発症率に有意差のでることを報告している(5)5) Scandinavian Simvastatin Survival Study Group: Lancet, 344, 1383 (1994).

図3■4Sスタディにおけるスタチン使用による生存率の改善

意外なことにスタチン使用群での心疾患発症率は,従来の臨床統計のLDLコレステロールの低下で予測される低下よりも大きく,スタチンにはコレステロール低下以上の多面的な血管疾患予防のpleiotropic effect多面的効果があると提唱されるようになった(6)6) S. Bellosta, F. Bernini, N. Ferri, P. Quarato, M. Canavesi, L. Arnaboldi, R. Fumagalli, R. Paoletti & A. Corsini: Atherosclerosis, 137(Suppl), S101 (1998).

比較を二重盲検法でやることなどさまざまな工夫が試みられ,その後も疾患のある患者の二次予防に対して,まだ顕著な心疾患などのない患者への一次予防を試みるメガスタディなどさまざまな試験が行われ,メガスタディは,臨床のエビデンスとして最も高いものと考えられ,メガスタディの結果得られたスタチンの使用法は「標準治療」として推奨される.

だが,スタチンのメガスタディのデータの評価には慎重さが求められる.そもそもスタチンのように明確なLDLコレステロール低下作用をもつ薬ではプラセボとの二重盲検が意味をなさない.LDLコレステロールが低下すればスタチン,しなければプラセボであることは患者にもすぐ自明となるからである.

スタチンには筋肉,糖尿病,神経系の副作用が報告されているが,メガスタディでは副作用の集計は主たる目標ではなく解析困難である.こうした症状は,スタチンの継続中止となるからである(7)7) T. Maejima, T. Inoue, Y. Kanki, T. Kohro, G. Li, Y. Ohta, H. Kimura, M. Kobayashi, A. Taguchi, S. Tsutsumi et al.: PLOS One, 9, e96005 (2014)..メガスタディの実際の比較は,スタチンの長期使用で脱落しなかった症例と,プラセボの長期投与で脱落しなかった症例の比較であり,脱落例の解析がないと評価となりえない.

さらに問題が多いのは,こうした個々の患者データの少ないメガスタディで患者数だけ増やした結果でてきた「stronger is better:強ければ強いほどいい」という理論的根拠の希薄なスタチンの推奨である.LDLコレステロールの上昇のない患者でもLDLコレステロールを最大限低下させることの推奨とも見られる.場合によっては致命的ともなる横紋筋融解症を伴うことのあるスタチンの使用法としては,単純化のあまり,極めて危険な方法といえる.

スタチンの効果は,年齢,性別,高脂血症のタイプと原因により大きく異なり,また遺伝子や食生活,運動量により大きく異なる.こうした多次元の配慮が求められる投薬の適応決定を,コレステロールやいくつかの数値だけに圧縮して,時間経過を伴う制御の動きの解析もぬきに,コレステロール値を見るだけで,スタチンで解決できるように勧める標準治療の本質は,「次元の圧縮」である.次元の圧縮は事態を単純化して捉えるのには強力な手段であるが,多次元の現実に介入するときは恣意的にならない注意が求められる.

栄養学では,一時のコレステロール制限食には批判的データが増えてきて,糖質制限論による脂質制限論の攻撃という転換を迎えている.

メガスタディのデザインは,ある国や地域におけるスタチンの費用対効果を検討する資料としての形式であって,医学上の仮説を検証できるかたちではない.だが,費用対効果の検証に限っていっても,脱落問題を考えるとバイアスのかかる製薬企業主導の通院患者の集計ではなく,ある地域の全数調査が必須である.これはHDLとLDLの動脈硬化への異なる作用といった基本的な事実自体が,フラミンガムスタディのような地域密着のフォローアップスタディで得られてきたという歴史が重要である.

21世紀になり疫学においても電子カルテや情報技術を駆使した,より緻密なフォローアップ型のデータサイエンスとしてのスタディが可能となりつつあり,遺伝子型,食事量,運動量,複数の薬物使用などの総合的な評価の可能性が生まれつつあるといえよう.

生体膜のベシクル輸送とシグナル伝達を変化させるコレステロールの機能(図4

スタチンは,HMG-CoA還元酵素の確実な阻害実験を可能にし,ファルネシル系の脂質修飾の生物学的意味の解明と,コレステロールの細胞膜ドメイン形成とシグナル伝達における重要性の解明の2点で細胞生物学に大きな変化をもたらした.

HMG-CoAは,ファルネシル,ゲラニルゲラニルなどのタンパク質の修飾に重要な分子の原料であり,それらの低下はRasなどの細胞の増速のシグナルから発がんにかかわるGタンパク質の機能も大きく低下させる.この効果は炎症シグナルにかかわり,スタチンのpleiotropic effectのメカニズムにかかわるとも考えられ,また,インスリン分泌シグナルに影響を与え糖尿病への影響が懸念される一方,がん予防にも期待される.

一方,スタチンを添加した細胞で小胞体におけるコレステロールセンシングの役割は大きく解明された(図4図4■コレステロール濃度のセンシング).小胞体膜のコレステロール量を感知してINSIG1というインスリンで制御されるタンパク質が乖離し,転写因子のSREBP2は,制御因子のSCAPとともにゴルジへ移動し,ゴルジで切断されて,核に移行し,内因性のコレステロール合成酵素の遺伝子と,血液中のコレステロールを取りこむLDL受容体の遺伝子を活性化する.

図4■コレステロール濃度のセンシング

小胞体でコレステロール濃度が低下すると転写因子SREBPはゴルジ体へ輸送されそこで切断されて核に移行し,コレステロールの合成と取り込みの遺伝子を活性化する.

最近,細胞の情報統合センターとして小胞体の役割が注目されている.小胞体が栄養やシグナルを担うコレステロールの濃度を一定に保ち,ゴルジ体への分子移動のスイッチをいれるメカニズムはそのモデルとして重要である.コレステロール濃度による制御はラフトなどのシグナリングにも重要であることがスタチンを用いた研究から次々明らかにされてきた.エンドゾームと小胞体のコレステロールの位相はニーマンピックC型の発症の原因と考えられ,スタチンの使用はアルツハイマー病における神経保護への作用も期待されている.

われわれはスタチンの使用が血管内皮細胞で,KLF2とKLF4の転写誘導をもたらし,それは,KLF4の染色体構造を変えるMEK5-ERK5を介したMEF2A, C, Dのリダンダントな転写を制御するクロマチンの3次元構造の変化によることを報告している.スタチン作用の全体像の把握はまだ端緒に着いたばかりである(7)7) T. Maejima, T. Inoue, Y. Kanki, T. Kohro, G. Li, Y. Ohta, H. Kimura, M. Kobayashi, A. Taguchi, S. Tsutsumi et al.: PLOS One, 9, e96005 (2014).

スタチンの理解への生命情報科学

コレステロールという分子は数多くの化学者,生物学者,医学者を魅了してきたが,遠藤博士の微生物からのHMG-CoA還元酵素阻害剤スタチンの発見により製薬業界も激変させる巨大なインパクトをもたらした.

そのインパクトは基礎生物学においても小胞体におけるコレステロールの合成,異化,代謝,センシングの研究を大きく進展させている.コレステロールは食事から摂取されるとともに,HMG-CoA還元酵素を律速酵素として合成される.しかし,生体膜におけるコレステロールの役割は,小胞体,ゴルジ体,エンドゾームの間のシグナルにかかわり,21世紀の細胞生物学の課題となっている.

スタチンの発見はコレステロールの役割とpleiotropic effectという謎を広げ,一方で画期的なLDLコレステロール低下作用と動脈硬化の予防への成功から,製薬業界の在り方まで変えてしまった.驚くべき薬の誕生であった.また副作用である筋肉障害がなぜ起こるか,そのメカニズムもわかっていない.

20世紀の生物学では,血液中のリポタンパク質の成分としてのコレステロールが取り上げられ,栄養学の観点から考えられることが多かった.だが,人体内ではコレステロール環は分解されてエネルギーとして使われることは少なく,むしろ細胞のオルガネラの膜のシグナル分子としてのコレステロールの理解に焦点が移りつつある.複雑な脂質膜の中でのコレステロールの役割とタンパク質,核酸との相互作用は,実験による複雑な実態の解明は難しく,近年のカープラスのノーベル賞に見られる分子動力学から脂質膜のシミュレーションが鍵となるだろう.生命情報科学の新しい時代の幕開けがスタチンから始まりつつある.

Reference

1) W. F. Enos, R. H. Holmes & J. Beyer: JAMA, 152, 1090 (1953).

2) H. Mabuchi, T. Haba, R. Tatami, S. Miyamoto, Y. Sakai, T. Wakasugi, A. Watanabe, J. Koizumi & R. Takeda: N. Engl. J. Med., 305, 478 (1981).

3) M. S. Brown & J. L. Goldstein: Science, 232, 34 (1986).

4) T. Kodama, M. Freeman, L. Rohrer, J. Zabrecky, P. Matsudaira & M. Krieger: Nature, 343, 531 (1990).

5) Scandinavian Simvastatin Survival Study Group: Lancet, 344, 1383 (1994).

6) S. Bellosta, F. Bernini, N. Ferri, P. Quarato, M. Canavesi, L. Arnaboldi, R. Fumagalli, R. Paoletti & A. Corsini: Atherosclerosis, 137(Suppl), S101 (1998).

7) T. Maejima, T. Inoue, Y. Kanki, T. Kohro, G. Li, Y. Ohta, H. Kimura, M. Kobayashi, A. Taguchi, S. Tsutsumi et al.: PLOS One, 9, e96005 (2014).