思い出コラム

遠藤 章 博士のガードナー国際賞受賞を祝して受賞に際して思うこと

小平 了二

Ryoji Kodaira

元和洋女子大学教授.

Published: 2018-02-20

遠藤博士とは,大学の教養部時代,旧制二高のバンカラな気風がまだ漂う学生寮で,それぞれ過ごし,農芸化学科に進んでから2年間,同じ下宿で寝食をともにして学びました.社会に出てからも,今日まで公私にわたり親しくお付き合いをさせていただいております.今回のこの受賞は,私にとっても最高のよろこびであり,たいへんうれしく,また誇りに思っている次第です.

この受賞に際し,この欄への寄稿の機会を与えていただきましたので私なりの思いを拙文ながら綴らせていただきます.

これまでに,遠藤博士は国内では日本国際賞を受賞し,文化功労者にも選ばれ,国外では,マスリー賞やラスカー臨床医学研究賞など,数々の大きな賞を受賞しております.

出版界においても世界的に高く評価され,多くの出版物に登場しております.有名な生化学書Lehninger Principles of Biochemistry(第5版 2008年)には,Dr. A. Endoの業績が著名な生化学者(たとえば,Pasteur, Watson, Crick, Jacob, Monod, Bloch, Lynen, Goldstein, Brownなど)とともに,写真つきで紹介されています.2011年,国連はキューリー夫人のノーベル化学賞受賞100年にちなんで,この年を国際化学年と定めました.これに呼応して英国王立化学協会は,その機関誌,Chemistry World(2011年3月号)に,直近60年間に化学者によってなされた発見の中から10年ごとに1件(計6件)を選んで紹介しています.ちなみに1980年代はK. B. MullisのPCR法を挙げています(1993年ノーベル化学賞).その中で1970年代はスタチンが選ばれているのです.また,発明家としても日本人で初めて2012年に「全米発明家殿堂入り」を果たしています.これらのことは,スタチンの発見がいかに偉大なことだったかということを物語っているのではないでしょうか.

このような偉業達成のルーツは生まれ故郷の秋田にあり,その素地は,いま思えば,学生時代から着実に培われていたような気がします.

われわれの学生時代は敗戦からほぼ10年,各自各様に夢をもっておりました.高邁な理想主義に関心を寄せるむきもありましたが,彼はそのようなものよりも,人間生活に密着したよりリアルで具体的な課題に関心を寄せておりました.

秋田の山村で,豊かな自然環境の中で育った体験から,この地方に自生するユニークなキノコ,ハエトリシメジのことを熱っぽく話しておりました.このキノコはハエを殺すが,人は美味しく食べられるというもので,彼は高校生のとき,このキノコの殺ハエ成分は水溶性で,耐熱性であることを確かめていたのです.この殺ハエ成分を有機化学的に追及したいという夢を抱いておりました.カビについても,子どもの頃,母親の麹づくりを徹夜で手伝ったことなどの体験から,身近な馴染み深い存在だったのです.

殺ハエ成分など,いわゆる生理活性物質がかかわる有機化学は,Fieser & FieserのTextbook of Organic Chemistryで勉強しておりました.700頁にわたるこの本を,教養部の2年次の夏休みに読み通し,この中で,特に微生物由来の抗細菌性物質の構造にたいへん興味を覚えたと懐古しています.彼のこの本は4年次にはボロボロになっていました.おそらく,3回ぐらいは繰り返し読んだのでしょう.生化学はB. HarrowらのTextbook of BIOCHEMISTRYを,酵素化学についてはJ. B. NeilandsらのOutlines of ENZYME CHEMISTRYを参考書にしていました.夜も5時間以上は机に向かっているのが日常で,目標に向かって粘り強い取り組みにより未知の世界が拓けてゆく過程を楽しんでいるようにも見えました.

将来について,「裸一貫の零からの出発だから,失うものは何もない,夢をもって,人がやらないことを思い切りやろうじゃないか,そして,世の中の役に立つことができれば,これ以上の幸せはない」などと彼は語り,よく似た境遇の傍系出身同士,安酒を酌み交わしたものでした.

ハエトリシメジへの具体的な取り組みは,本人の意に反し,卒論研究でも,会社に入ってからも諸々の事情で実現しなかったということですが,カビとキノコには,入社後,ペクチナーゼの開発研究で再会し,麹蓋を使うペクチナーゼ製造法を提案し,さらに,これら菌類が生産するペクチナーゼの生化学的研究により農芸化学会賞(1966年)を授与されております.

この間,ハエトリシメジの殺ハエ成分は,東北大(薬)の竹本教授により,抽出,単離され,構造が決定されております(1964年).

いずれにしても,彼の若い頃からの上述のような姿勢,信念は,ハエトリシメジへの思いを端緒とし,カビが生産するスタチンの発見となって結実したのです.

すなわち,タンパク質や核酸の分野に研究者が集中し,脂質関連分野の研究者がまだ少なかった1960年代にコレステロールの重要性に着目し,この生合成経路を解明したBloch博士(1964年ノーベル医学生理学賞)に強く傾倒しておりました.米国留学で,コレステロールと心疾患の関係を再認識し,帰国後,コレステロールの生合成系を阻止する薬剤の開発を着想したのですが,生体内におけるコレステロールの必須性から,この考え方に対し,当時,大方は否定的だったそうです.それでも,コレステロール生合成系のkey enzymeであるHMG-CoA reductaseを阻止する活性物質をカビの生産物の中から探し出したいという信念から,目標を明確に設定し,論理的に極めて卓越した合理的で,かつ効率的な探索方法を考案し,これにより短期間で目的どおりの活性物質を見いだしたのです.これは,想定外の思いがけない偶発的な事象からの発見ではなく,所期の目標を完全に達成する発見であり,目的探索研究の典型的なすばらしい成功例といえましょう.

スタチンの医薬品としての開発では,動物実験の段階で動物の種差に由来する予想外の結果や安全性の問題に直面しながらも,挫折することなく,客観的な考察に基づき内外のトップレベルの研究者と連携し,粘り強い取り組みにより,これらの問題を克服してきました.

現在では,世界で何千万もの人がスタチンの恩恵にあずかり,救われています.このような薬を一徹な信念に基づいてつくりあげた功績は絶大で,驚嘆に値するたいへんな快挙だと思います.