Kagaku to Seibutsu 56(3): 228-230 (2018)
思い出コラム
東京農工大学農学部農芸化学科での遠藤 章さん
Published: 2018-02-20
© 2018 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2018 公益社団法人日本農芸化学会
遠藤さんの専門は農芸化学で,土壌中の菌類からコレステロールの形成を抑制する物質を取り出す研究をされている研究者という紹介が教授会でされたのを覚えているくらいで,農学部農学科を卒業し,水稲の体内水分と光合成の生理生態について,主として野外で実験研究をしてきた私には,あまり関心がありませんでした.ただ,昭和54年1月に農学部に赴任され,新年宴会の席で,楽しそうに歌をうたっておられたことだけは,不思議に心に残っています.
赴任されて2年くらい経った春だと思いましたが,遠藤さんの研究室の秘書のような役目をされている,いつもニコニコしていて,よく気の付く,学内で顔の広い竹田美智子さんが,私の研究室に来られ,「遠藤先生を訪ねる農学部の先生が非常に少なくなり,先生はいつも本を読んだり,原稿を書いたり,仕事ばかりしているので,時間のあるときに,遠藤先生の研究室に行って,雑談をしたり,四方山話をしたりしてもらえませんか」といわれました.最初,びっくりしましたが,すぐ竹田さんの意図している意味が分かりましたので,その後,月1回か2回ブラッと遠藤さんの研究室を訪ねたりしました.多分,最初の2, 3年は研究について話をしたことは,ほとんどありませんでした.
東京都府中市にある東京農工大学農学部の構内には十数ヘクタールの非常に広い農場があり,春は桜の花見祭り,秋には農業の収穫感謝祭が農学部付属農場主催で毎年開催されていました.この春,秋のお祭りには,農学部関係者が無礼講で参加できますので,竹田さんや私の友人たちが集まって,遠藤先生を囲んで,ビールや酒を飲みながら,賑やかに大声で話したり,時には寮歌を歌って,短い時間大騒ぎしたことは,日頃のストレス解消には非常に効果的であったように思います.
日本の農業教育や研究は,クラーク博士が校長の札幌農学校と東京の上目黒駒場野に明治10年に設立された駒場農学校で始まりました.その後の駒場農学校の変遷の過程を簡単に追ってみると,明治23年に東京農林学校(本科)は文部省に所管が変わり,東京帝国大学農科大学に改称され,農科大学にあった乙科は,学生の農場実習の改善向上に努める実科と変更されました.この状態が長く続きますが,大正8年実科を廃止する声があがり,卒業生,学生を含む駒場校友会の会員が母校独立運動を13年間展開した結果,実科を廃止する代わりに,すでに当時主要な県に設立されていた高等農林学校と同格の東京高等農林学校が昭和10年に府中市に設置されることになりました.この農林学校が母体となって,戦後の昭和24年5月31日国立学校設置法により現在の東京農工大学農学部が発足し,農学教育,研究を正式に実施することになりました.
しかし,大学教育研究の整備などは,東大,京大などのいわゆる旧制大学で先んじて行われたので,新制大学の農工大では,建物の建設が始まったのが昭和40年頃からで,施設,組織の整備,教官などの補充は,多分遠藤さんが赴任される頃まで続いていて,農学部や各学科内では混乱状態が多少残っているところもあったのではないかと思います.
遠藤さんが平成18年に執筆,出版された「自然からの贈り物—史上最大の新農薬誕生」,「新薬スタチンの発見—コレステロールに挑む」をみると,研究の大半は,農工大学に就任される前の職場で実施され,成果をあげられたことはよく理解できましたが,遠藤さんがその後に書かれた,小論文,資料,パンフレットなどを拝見すると,農学部に来られて以後も,特許,薬品の毒性・効果の問題,さらに薬品会社・マスコミなどとの関係など,研究者としての能力,素質が問われる厳しい案件が多くあり,研究機関としての歴史,伝統などが直接的,間接的に影響し,問題になることがしばしばあることも知りました.さらに,農工大学の18年間に64件の特許を出願し,商業化に成功した事例が8つもあることをお聞きし,研究を続けながら,学生の教育研究に対しても貢献・尽力されて来られたこともよく分かりました.
遠藤さんが多くの研究学術賞を授与されていることは,よく知られていますが,最初に授与された西ドイツの国際賞,ハインリヒ・ウイーランド受賞記念祝賀会が昭和62年に東京で開催されたときには,大学の参列職員は,学長,農学部長,農学部事務長のほか,教授,助教授併せても10人程度でびっくりしました.その後,広く新聞,テレビなどに紹介され,平成18年4月に国立劇場で天皇,皇后両陛下ご臨席の下で,非常に盛大に開催された日本国際賞の授与式では会場が満員になり,遠藤さんの業績が学内の学生,卒業生,同窓生はじめ,東京農工大学関係者に広く知られるようになったと思います.
このように有名な国際賞を非常にたくさん受賞された遠藤さんに研究について伺ってみると,自分の専門だけでなく,医学,化学,生物学など,非常に幅広く,しかもそれぞれの学問の進化,発展過程について深く詳細に関心をもち,論理的に理解されるように常に努力されておられ,その姿勢に非常に感動,敬服いたしました.このようにたくさんの研究学術賞などを授与されたのは,言うまでもなく,日頃のご研鑽・ご努力の賜物であり,今回のガードナー国際賞の受賞を含め,心から賞賛とお祝いを申し上げます.
すでにご説明しましたように,農工大学農学部で教育研究する農学は,農業という特殊な産業の実学,すなわち現象の変化に重きを置き,経験,慣習などを通じて,技能,技術を探求し,法則性を追求する特殊性をもっていて,研究方法論は物理学・化学・薬学・基礎医学とはかなり異なります.このような環境の中で,理解できないこと,科学的考え方の大きな相違に耐えながら,20年近くにわたり教育研究に努められ,立派な業績を上げて来られました.この間,戸惑いや苦労も多く,お疲れ,あるいは苦痛を感じられたことも少なくなかったと思います.最後に,長い間,本当にご苦労様でしたと,ご慰労申し上げたいと思います.
遠藤さんが書かれた「スタチンと歩んだ50年」の最後に,「自然を師とし,現場から学ぶ」とあります.私も好きな言葉を書かせていただきます.「稲のことは稲にきけ,農業のことは農民に聞け」(横井時敬),「科学・技術には国境はないが,科学者・技術者には祖国がある」(パスツール一部改変).