Kagaku to Seibutsu 56(3): 230 (2018)
思い出コラム
遠藤先生,ガードナー賞ご受賞,おめでとうございます
Published: 2018-02-20
© 2018 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2018 公益社団法人日本農芸化学会
遠藤先生は,これまでもラスカー賞をはじめとして数々の受賞をされてきましたが,今回のガードナー賞の受賞を改めて心からお祝い申し上げます.
このところ,創薬源としての微生物に関する関心は急速に薄らいでいるようで,企業などは次々と撤退しているだけに今回の受賞は特に意義深いものと思います.
遠藤先生は私より8年ほど前に三共㈱(現在は第一三共)に入社していますので,私にとっては大先輩にあたります.しかし,当時は室長でも,所長でも役職では呼ばず「さん」で呼んでいましたので,以後,遠藤さんと呼ばせていただきます(先生をつけると何か遠く別人の感じがしますので).
私が入社した当時(1965年),遠藤さんはカビ由来の酵素(ペクチナーゼ)を扱っており,食品関係の研究を行っていたように記憶しています.一方,私は入社と同時に抗生物質の探索の仕事を命じられましたし,遠藤さんとは研究室も異なっていましたので,直接の上司ではありませんでした.しかし,「カビ好き」という点では一致し,なにか馬が合うという感じでした.当時,製薬企業では微生物から新しい抗生物質を探索することを精力的に進めていましたが,微生物イコール放線菌と言ってもよいほどで,菌類(かび・きのこ)はほとんど対象外でした.それは,抗生物質として有望なマクロライドやアミノ配糖体などは菌類では作らないから当然でもありました.しかし,私は菌類の美しさに魅せられましたし,真核生物である菌類の代謝物のほうが真核生物である人間に作用するものを作っているはず,という勝手な解釈,そして皆の進む方向には背を向ける困った(?)性格の持ち主なのですが,カビ派の遠藤さんとは,なぜか波長が合い,応援してくれることは救いでありました.そのため,ときどき彼の研究室に行き話を聞いていますと,カビから抗生物質以外の医薬品を見つけようと考え始めていることを知るようになり,カビが役立つときが来ると密かに喜んでいました.しかし,ほどなくして彼はアメリカへ留学のため会社を離れることになってしまいました.
遠藤さんが発見したスタチン(ML-236B,コンパクチン)の生産菌であるアオカビ(Penicillium citrinum)は京都の米屋の米から得たものと書かれているものを見受けますがそれは間違いです.いささか長くなりますが入手のいきさつは以下のとおりです.カビにとりつかれた私は社内で一人菌をいじっていましたが,もっと本格的に教えを請いたいと思い終業時間後や休暇をとって,しばしばひそかに国立衛生試験所(現,国立医薬品食品衛生研究所)に行って同所の一戸正勝研究員にいろいろと教えてもらっていました(1966~1967年頃).当時室長であった倉田浩先生(故人)はそれを黙認,というより歓迎してくださり,欲しいカビがあったら持って帰りなさいと言ってくださいました.
当時は,戦後の食糧難時代からタイなど東南アジアからコメを輸入していましたが黄色などに変色したコメが混ざっており,それが政治問題に発展しました.それが「黄変米事件」です.そのため,消費者に渡る前に各地産の米を国立衛生試験所で検査を行っていましたので,検査後の廃棄するカビが生えたシャーレなどがたくさん置かれていました.その廃棄前の試料を勉強のために用いて顕微鏡で覗いては教えをいただいていました.その中にP. citrinumと思われるカビがありました.P. citrinumは寒天培地中に黄色い色素を出すことは一つの特徴ですが,これは色素を出していませんでしたので,何か変わった株なのではと思いいただて帰りました.そのため,その菌株は京都産の米に由来するとわかっているのです.1967年の春だったと記憶しています.
その翌年頃に遠藤さんは帰国し社内での研究を開始しましたが,当初からコレステロールに関する研究であったと思います.そこで,私がいろいろな基質から分離してためておいたカビを彼に提供しました.そのうちの1株が上記のアオカビだったのです.
その後,私は1972年から1年半,正式に国立衛生試験所に内地留学の形で出向し宇田川俊一先生から菌類研究の指導を受けるとともに多くの菌類を分離して遠藤さんにも提供しました.しかし結局,目的の物質を作っていたものは,上記のアオカビだけでした.
遠藤さんとは,私が定年退職後も交流を続け,特別栄誉教授室にも何度かお邪魔したり,一緒に食事をしたりと交流をさせていただいています.
遠藤さんの受賞に励まされ,刺激を受けて若い世代の研究者の中から探索研究の新しい活動が生まれてくることを切望しています.