Kagaku to Seibutsu 56(4): 237-238 (2018)
巻頭言
CRISPR発見から30年
Published: 2018-03-20
© 2018 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2018 公益社団法人日本農芸化学会
ゲノム中の特定の遺伝子を狙って改変するゲノム編集技術は,ポストゲノム研究の主役として生命科学の発展を加速させている.筆者が大学で研究を始めた1980年当初は,試験管内で遺伝子を切り貼りして生きた細胞に導入する遺伝子工学技術が利用され始めた頃だった.遺伝子を切るはさみの制限酵素と糊の働きをするDNAリガーゼの基礎研究を主題に修士論文,博士論文をまとめる過程で,狙った遺伝子をクローニングし,その塩基配列を正確に読み,また特定の遺伝子産物を多量に産生する実験を進めながら,生命科学が進歩していくのを実感した.博士論文がまとまった後に行った大腸菌リン酸代謝制御の分子機構研究の中で,独特な繰り返しDNA配列を発見した.二回回文配列を含む29ヌクレオチドの共通の配列が一定の間隔をおいて何度も繰り返されていた.繰り返し配列の長さが一定にそろっていること,そしてその配列の間隔も一定であることから,これが偶然の配列でなく,間違いなく何かを意味していると思った.筆者はこの後アメリカへ渡り,ポスドクとして異なる研究テーマに移ったので,この繰り返し配列の解明を諦めたという意識はなかった.その後,この特徴を有する配列は大腸菌だけではなく,ほかの細菌やアーキアからも報告され,やがてCRISPRと呼ばれるようになり,その機能が原核生物の獲得免疫を担うことが解明されるまでに20年を要した.CRISPRの機能解明自体が素晴らしい研究成果であるが,さらに,それを利用して実用的なゲノム編集技術開発に繋げた研究者の応用力に深い感銘を受けた.
CRISPRの研究が海外で進んでいる時に,筆者は超好熱性アーキアが極限環境において自らの遺伝情報を維持伝達している機構を解明するための基礎研究に大きな興味を覚え,CRISPRの謎解きは忘れてしまっていた.企業から産官学プロジェクトを経て大学に職を得た後も,次々に新しいことが見つかるアーキア研究に夢中になった.しかし,筆者が大学に異動したのは,大学改革の大きな波が押し寄せた時期で,翌年には国立大学法人化が行われた.大学の研究が何に役立つのかが問われ,世の中に直ぐに役立つ研究が望まれ,特許出願が奨励された.大学本部からは大きな声で研究費獲得が叫ばれた.企業研究員のときに憧れた大学の基礎研究環境は吹っ飛び,近距離で役に立つ応用研究重視へと転換されたことを実感した.それから16年が過ぎ,この大学改革はますます顕著に表れている.筆者も研究室活動を維持するために,企業在籍時にも増して応用研究を常に考えている.それは重要なことではあるが,基礎から応用まで広く研究する学問分野である農芸化学の特徴を発揮する余裕が,現在の大学にはなくなっているようにも感じざるを得ない.全く意味のわからないものを発見しても,それを続けて研究できる環境は今の大学にはもうなくなってしまった.筆者がCRISPRを見つけたとき,それがゲノム編集に利用可能であることなど,間違いなく誰も考えなかったし,米国の大学院生がイエローストーンに生息する好熱菌のDNA合成酵素を研究していたときに,それがPCRの実用化を実現されることなど,誰が想像しただろうか.出口はわからなくとも未来につながる研究の芽に取り組もうとする人を励まし続けられる研究環境が強く望まれる.