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CRISPR-Casを用いた昆虫培養細胞の糖鎖工学FDLノックアウトによる昆虫型から哺乳類型への糖鎖構造変換

Hideaki Mabashi-Asazuma

馬橋 英章

お茶の水女子大学基幹研究院自然科学系生活科学部食物栄養学科

Published: 2018-03-20

バキュロウイルス-昆虫細胞発現系(Baculovirus-insect cell system; BICS)は,組換え体タンパク質発現系として幅広く研究用,特に立体構造解析に用いるタンパク質の大量発現に用いられてきた.近年では家畜用医薬品のほか,ヒトパピローマウイルスワクチン,インフルエンザワクチンなどヒト用医薬品の製造にも用いられ,哺乳類細胞に代わるタンパク質医薬の合成系としても注目されている(1)1) R. S. Felberbaum: Biotechnol. J., 10, 702 (2015)..昆虫細胞は哺乳類細胞とは異なり二酸化炭素を余分に供給する必要がなく,約10°C低い温度で生育する.そのため比較的単純な設備で培養可能であり,またスケールアップが用意であるという利点がある.さらに,BICSでは組換え体バキュロウイルスによって外来遺伝子を導入し,タンパク質を発現させるため,CHO細胞で行われているように,目的タンパク質を高発現する単一細胞株を選抜し,増殖する必要がない.よってBICSでは組換え体タンパク質のデザインから短時間でタンパク質が得られるため,特にパンデミックへの対応など緊急性の高い事例に対して有効な選択肢となる.一方で,BICSが苦手とするのが哺乳類型糖鎖の合成であり,ヒト型と全く同じ糖鎖構造をもつ糖タンパク質を合成することができない.BICSに用いられるSf9などの宿主昆虫培養細胞は,哺乳類型糖鎖を合成するために必要な合成経路が途中までしか存在せず,糖タンパク質医薬の血中半減期に需要な末端シアル酸を付加することができない(図1図1■昆虫細胞と哺乳類細胞のN型糖鎖合成経路の相違点).そのためBICSは,エリスロポエチンや抗体医薬に代表されるような哺乳類糖タンパク質の合成には適さなかった.タンパク質医薬の多くが糖タンパク質であることから,BICSにおける糖鎖構造の問題が解決されれば,迅速な糖タンパク質医薬の供給が実現可能となる.

図1■昆虫細胞と哺乳類細胞のN型糖鎖合成経路の相違点

主要なN型糖鎖の合成経路の簡略図を示した.FDLがMGAT1の反応に拮抗しているのが,昆虫培養細胞の特徴.図には示していないが,フコース付加の無い糖鎖などほかの糖鎖構造も存在する.

この問題を解決するため,各種哺乳類由来の糖転移酵素や糖鎖合成にかかわる遺伝子を過剰発現する昆虫細胞や組換え体バキュロウイルスを作製し,宿主昆虫培養細胞にて不足している糖鎖合成系を補うことにより,BICSにて末端シアル酸が付加された糖タンパク質を合成する方法が開発されてきた(2)2) C. Geisler, H. Mabashi-Asazuma & D. L. Jarvis: Methods Mol. Biol., 1321, 131 (2015)..導入する酵素の選定,プロモーターの選択,ベクターの改変などさまざまな改良が行われたが,それでもなお,哺乳類と同等のシアル酸付加効率を達成するのは困難であった.その明確な理由の一つは,昆虫細胞が哺乳類にはないFDLと呼ばれるN型糖鎖に特異性的な糖加水分解酵素を有しているからである(図1図1■昆虫細胞と哺乳類細胞のN型糖鎖合成経路の相違点).複数の研究から,FDLはRNA干渉によるノックダウンの効果が低く,糖鎖構造を明確に変化させるほどの表現型を得ることは難しいことが知られていた.そのため,ノックダウンではなくfdl遺伝子の遺伝子特異的なノックアウトが有効であると推察され,その達成が待ち望まれていた.今回は,昆虫培養細胞におけるfdl遺伝子のゲノム編集と,ゲノム編集細胞における糖鎖構造の変化について紹介する.

研究開始時,筆者は古典的な相同的組換えやTALEN法によるfdlへの変異導入を試みたが,満足いく結果は得られなかったため,CRISPR-Cas9法によるゲノム編集を採用した.fdl遺伝子の変異はショウジョウバエにて脳の奇形を引き起こすことから,培養細胞の増殖に悪影響が起こる可能性も考えられた.そこでまず,FDL変異の培養細胞に対する影響をショウジョウバエの培養細胞S2R+細胞を用いて検証した.S2R+細胞ではすでにCRISPR-Cas9用ベクターが開発されており,それを用いてfdl特異的な変異導入を試みた(3)3) H. Mabashi-Asazuma, C. W. Kuo, K. H. Khoo & D. L. Jarvis: ACS Chem. Biol., 10, 2199 (2015)..その結果,fdlに極めて高効率に変異が導入され,糖鎖も期待どおりに伸長した構造が増加した.CRISPR-Cas9処理された細胞は,形態,増殖,タンパク質発現のいずれも野生型と変わりなく,fdl変異は昆虫培養細胞の糖鎖工学において有用であることが確認された.そこで次に,本来の目的であるBICSの宿主昆虫培養細胞Sf9において,fdl遺伝子のゲノム編集を試みた(4)4) H. Mabashi-Asazuma & D. L. Jarvis: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 114, 9068 (2017).

Sf9でのゲノム編集は前例がなかったが,昆虫培養細胞では上述のS2R+細胞に加えて,Sf9と同じ鱗翅目であるカイコ卵巣由来の培養細胞BmNでもCRISPR-Cas9の成功例が報告されていた.そこでまず,これらの報告を参考にしてCRISPR-Cas9ベクターを作製し,Sf9細胞にてfdlを標的としてCRISPR-Cas9を試みたが,遺伝子の編集は全く検出されなかった.これはCRISPR-Cas9で必須であるsgRNAが転写されていないことが原因であった.理由は不明であるが,Sf9細胞では近縁種のU6プロモーターが機能しなかった.そこで,Sf9細胞から機能的U6プロモーターを同定し,これを利用してCRISPR-Cas9を行ったところ,標的であるfdl遺伝子の変異が確認された.予想どおり,ゲノム編集細胞(SfFDLKO細胞)ではFDLによって産生される昆虫型糖鎖構造の割合が顕著に減少した.またS2R+細胞の場合と同様にSfFDLKOの形態や増殖,組換え体タンパク質の合成量などに親細胞株との違いは見られなかった.SfFDLKOはN型糖鎖の伸長を阻害する経路がなくなったことにより,ヒト型糖鎖を含む各種糖鎖構造のデザインが容易となった.現在,高効率に各種糖鎖伸長が可能な昆虫細胞株の取得が進められている.

同様のアプローチによって,別のBICSの宿主細胞であるHigh Five™細胞でもCRISPR-Cas9によるゲノム編集に成功した.本研究の成果より,ノックインとノックアウトの双方がBICSの宿主昆虫培養細胞において可能となった.これらを組み合わせた細胞工学的手法により,BICSの有用性をさらに拡大する幅広い応用が期待される.

Reference

1) R. S. Felberbaum: Biotechnol. J., 10, 702 (2015).

2) C. Geisler, H. Mabashi-Asazuma & D. L. Jarvis: Methods Mol. Biol., 1321, 131 (2015).

3) H. Mabashi-Asazuma, C. W. Kuo, K. H. Khoo & D. L. Jarvis: ACS Chem. Biol., 10, 2199 (2015).

4) H. Mabashi-Asazuma & D. L. Jarvis: Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 114, 9068 (2017).