Kagaku to Seibutsu 56(4): 240-241 (2018)
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抗菌剤グラブラマイシンの合成と計算による構造改訂有機合成と計算化学で天然有機化合物の構造を探る
Published: 2018-03-20
© 2018 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
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天然由来の生物活性物質の探索研究においては,よりよい活性物質を発見することは勿論,その構造を決定することも重要である.化合物の構造と活性とは重要な相関を示すことが多く,詳細な構造活性相関研究や生物学的研究のためには立体化学を含めた構造確定は不可欠だからである.1959年にBombykol(カイコガの性フェロモン)の構造が決定された際には,雌50万頭の抽出物(結晶性誘導体として12 mg)を用いており,多くの試料と長い時間が必要であった.さまざまな分析技術が発達した現在では比較的容易に構造決定が可能になったが,それでも天然物の構造決定に誤りがあることもあり,特に立体化学の決定には困難が伴うことも多い.こうした場合,種々の機器分析結果を踏まえたうえで有機合成的手法を用いることは,天然物の真の構造決定・確認するために有効な手段の一つである.また,近年の計算化学の発達により,各種データから化合物の構造や配座を予測することも可能になってきている.本稿では,抗菌物質Glabramycinの報告されていた構造を,有機合成と計算化学という異なるアプローチを用いて改訂した例を紹介する.
黄色ブドウ球菌は膿症をはじめとして肺炎や敗血症など致死的となりうる感染症の原因菌であるが,薬剤耐性の問題があることから新たな作用機序の抗菌剤の開発が望まれている.Glabramycin類は黄色ブドウ球菌に対する抗菌剤としてカビの培養液より単離されたポリケチドで,薬剤耐性株への活性も期待されている.Glabramycin BおよびCは三環性骨格を有しているが,1H NMRにおける核間位プロトンの結合定数がいずれも大きい(8.5~10 Hz)ことから,それぞれがantiの関係にあると決定されており,2009年に構造が報告されている(図1図1■Glabramycin Bの構造改訂Ⓐ,20位のメチル基の立体化学は報告されておらず不明)(1)1) H. Jayasuriya, D. Zink, A. Basilio, F. Vicente, J. Collado, G. Bills, M. L. Goldman, M. Motyl, J. Huber, G. Dezeny et al.: Antibiot, 62, 265 (2009)..一般にシクロヘキサン上のプロトン同士の結合定数は,互いにジアキシアルでantiの場合は比較的大きな値(8~10 Hz)を示し,それ以外の場合は比較的小さな値(2~3 Hz)を示すことが知られており,この構造決定に大きな矛盾はない.しかし類似の骨格を有する天然物Sch 642305やDictyosphaeric Acid A(図1図1■Glabramycin Bの構造改訂Ⓑ)は,われわれ(2)2) K. Ishigami, R. Katsuta & H. Watanabe: Tetrahedron, 62, 2224 (2006).やTaylorら(3)3) A. R. Burns, G. D. McAllister, S. E. Shanahan & R. J. K. Taylor: Angew. Chem. Int. Ed., 49, 5574 (2010).のグループによる全合成により構造が確認された化合物であるが,10位と11位の立体配置はsynであることが確認されており,報告されているGlabramycinの立体化学とは異なっている.特にDictyosphaeric Acid Aの10位と11位はsynであるにもかかわらず,その結合定数は8.7 Hzと比較的大きな値を示している.われわれはGlabramycinのように歪んだ縮合環においては立体化学を結合定数のみから判断することは困難であり,Glabramycinも類縁化合物と同様の立体化学を有しているのではないかと考えた.そこで未決定であった20位のメチル基の立体化学も含め,真のGlabramycin Bの構造を独自に推定し(図1図1■Glabramycin Bの構造改訂Ⓒ),この推定構造(1)の全合成を通じてGlabramycin Bの構造改訂を行おうと考えた.
図中の炭素番号はGlabramycin単離文献のナンバリングに合わせてある.Ⓐ報告されていたGlabramycin類の構造,Ⓑ類似化合物の構造,Ⓒ今回改訂したGlabramycin Bの構造,①有機合成による構造改訂,②計算化学による構造改訂.
われわれ独自の推定構造の合成を図中①に示した.原料となるキラルビルディングブロック(3)は,β-ケトエステル(2)のパン酵母を用いた生体還元で大量かつ高光学純度で調製可能な化合物で,これまでにさまざまな天然物の全合成に用いられてきた.これを類縁化合物Sch 642305の全合成での中間体であるβ-ケトスルホキシド(4)へと導き,ジアニオンを用いた位置および立体選択的なアルキル化で炭素鎖を導入してケトン(5)へと変換した.次に,酸化による五員環ラクトンの形成,一炭素の導入と椎名法による十員環ラクトンの形成を経て,三環性骨格を立体選択的に構築することに成功した.最後にパラジウム触媒を用いたStilleクロスカップリングによりトリエン側鎖を導入し,Glabramycin Bのわれわれの推定構造(1)の合成を達成した.合成した1の各種スペクトルデータが天然物と完全な一致を示したことから,報告されていた構造の誤りを訂正するとともに不明であった20位の立体化学も決定することに成功した.また,同様の方法で20位のメチル基の立体が逆の20-epi-1も合成し,われわれの構造改訂に疑いがないことを確認している(4, 5)4) K. Ishigami, M. Yamamoto & H. Watanabe: Tetrahedron Lett., 56, 6290 (2015).5) M. Yamamoto, K. Ishigami & H. Watanabe: Tetrahedron, 73, 3271 (2017)..
われわれの構造改訂と同時期に米国のLiもGlabramycinの構造改訂を行っている(6)6) Y. Li: RSC Advances, 5, 36858 (2015)..彼もSch 642305との構造の類似性からGlabramycinの立体化学に疑問をもち,計算化学を用いた手法で真の構造を推定している.すなわち,Sch 642305と異なる立体配置である11位と未決定である20位に関する立体異性体4種類[(11R,20R)-体,(11R,20S)-体,(11S,20R)-体,(11S,20S)-体]に対し,それぞれの化学シフト値を計算し,天然物の実測値との比較によりどの立体異性体が真の構造であるかを検討した.まずMacroModel(7)7) MacroModel, version 9.8, Schrödinger, LLC, New York, NY, 2010.を用いた分子力場計算により各立体異性体の構造を最適化した後,Gaussian(8)8) Gaussian 09 (Revision A.02), Gaussian Inc., Wallingford, CT, 2009.を用いてメタノール中での13C NMRにおける化学シフト値を計算した.Liの計算結果を図1図1■Glabramycin Bの構造改訂②に示したが,立体異性体それぞれに対する各炭素の化学シフト値(計算値)を,報告されている天然物の実測値と比較し,両者の“ずれ”をバーの長さで示した(Δδ=計算値−実測値).その結果,(11S,20S)-体では計算値と実測値の“ずれ”がほかの異性体に比べて圧倒的に小さくなっており,われわれと同様に(11S,20S)-体(1)が真のGlabramycin Bの構造であると結論づけている.
Glabramycinの提出構造に対して2つのグループがほぼ同時に同様の疑問を抱き構造改訂に着手したのも面白いが,その手段が有機合成と計算化学という全く異なるアプローチであったのも面白い.一つの目的地に向けてさまざまな経路が存在することを改めて確認できる.
Reference
2) K. Ishigami, R. Katsuta & H. Watanabe: Tetrahedron, 62, 2224 (2006).
4) K. Ishigami, M. Yamamoto & H. Watanabe: Tetrahedron Lett., 56, 6290 (2015).
5) M. Yamamoto, K. Ishigami & H. Watanabe: Tetrahedron, 73, 3271 (2017).
6) Y. Li: RSC Advances, 5, 36858 (2015).
7) MacroModel, version 9.8, Schrödinger, LLC, New York, NY, 2010.
8) Gaussian 09 (Revision A.02), Gaussian Inc., Wallingford, CT, 2009.