Kagaku to Seibutsu 56(6): 377 (2018)
巻頭言
農芸化学を地方大学から盛り上げよう
Published: 2018-05-20
© 2018 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
© 2018 公益社団法人日本農芸化学会
地方大学と言って,否定されることはない島根大学に身を置いて早,30年経過した.これまでに大阪,京都,ニューヨークに住んでいた経験もあり,大都市の利便性は知っているが,地方都市の生活にも良さがある.近傍に家を持ち,通勤ストレスなく,じっくりと研究でき,インターネットの発達の恩恵で情報格差は少なくなった.一方で,基盤的研究費のなさは地方大学に大きく影響を与え,競争的資金がない研究室は壊滅的な状況に近い.大学間格差や研究室間格差はこの10年かなり広がっているという実感がある.テーマを掲げて,学生がそのテーマに興味を持って入学しても,実際に行えるかどうかの保証がないという,教育面でのマイナス効果は計り知れない.折しも毎日新聞に危機的な地方大学の状況が紹介されているが,運営費交付金の削減による基盤的研究費の減少は,敗者復活の可能性をなくしてしまっている.
この30年間所属する学科の名称は改組により転々とした.最初は農芸化学科で,続いて生物資源科学科,生命工学科,生命科学科と4つ目になる.農芸化学の名前が大半の大学で消え久しくなるが,学会は農芸化学で大きなまとまりがあり,科研費の細目名も大事な1分野を形成している.その意味においても「化学と生物」の境界領域を目指している農芸化学は,もっと認知度を上げる努力を必要としており,中四国支部長を務めている私にもその責任の一端があると自覚している.星新一というショートショートで著名な作家の作品は高校生,大学生の頃によく読んだが,星新一氏が東大の農芸化学の卒業生であったことを後から知った.彼の作品に農芸化学的な要素がもっと含まれていると良かったのにと思っている.
作家の文学作品に相当するものが研究者の論文であると筆者は考えている.論文はできるだけ世に残し,研究者としての生きた証として大事にしたい.地方大学において,どれだけ研究の作品を残せるかが私の一つの使命だと,勝手に思っている.これまでに,コエンザイムQの生合成と生産というテーマと分裂酵母の細胞周期の制御に関する研究を平行的に進めてきた.コエンザイムQの生合成の研究は,大腸菌である遺伝子を解析していたときに,たまたま隣接した遺伝子にコエンザイムQの側鎖合成に関する遺伝子があり,試しにそれを解析しようと思ったきっかけで,そのうちにこの分野の研究の重要性に気がついた.分裂酵母の細胞周期の制御の研究は,大腸菌のcAMPが細胞分裂にかかわるという博士課程でのテーマを緒として,留学先のコールドスプリングハーバーのWigler博士のところで,出芽酵母でRASがcAMP合成酵素を制御するという大きな発見があった頃から,分裂酵母のcAMPの役割を知りたいと思い始めた.分裂酵母のcAMPの合成過剰株では細胞が伸長していることを見つけたときは大腸菌と共通性があり非常に感動した.コエンザイムQ10が市販品であることは,その解析は農芸化学的なテーマであり,まさに「化学と生物」の接点にある.研究費は応用的な研究の方が導入しやすい面はあるが,研究者として最も情熱を燃やす瞬間は,未知の現象を見つけたときであり,計画的に,順序立てて進んだときではない.自由に研究ができる基盤的研究費がない今日,研究者として最も情熱を燃やすチャレンジングな研究の芽を摘んでいる研究環境は大いに憂慮される.