Kagaku to Seibutsu 56(6): 384-385 (2018)
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次世代インフルエンザワクチン研究の新アプローチワクチンを科学的にデザインする試み
Published: 2018-05-20
© 2018 Japan Society for Bioscience, Biotechnology, and Agrochemistry
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現在のインフルエンザワクチンは,基本的に毎年流行前の接種が必要となる.その理由として,現在のワクチンで誘導される抗体がウイルス株の抗原変異に対応できない“株特異的”であり,最新の流行株にマッチした抗体を賦活化する必要があること,さらに誘導された抗体の持続性が生ワクチン(麻疹ワクチンなど)ほど優れていないことによる.ワクチンの株特異性を改善するために,抗原変異しづらいエピトープをターゲットとすることで“交差性”を獲得した抗体に近年大きな注目が集まっている(1, 2)1) D. Corti, J. Voss, S. J. Gamblin, G. Codoni, A. Macagno, D. Jarrossay, S. G. Vachieri, D. Pinna, A. Minola, F. Vanzetta et al.: Science, 333, 850 (2011).2) Y. Takahashi & G. Kelsoe: Curr. Opin. Immunol., 45, 119 (2017)..この交差性抗体は現在のワクチンでは誘導されづらい希少な抗体であるため,モノクローナル化した交差性抗体の結合部位(B細胞エピトープ)を構造解析により明らかにし,この抗体を誘導しやすいように抗原性を人為的に高めたワクチンが構造生物学的なアプローチにより作製可能となった(epitope-focused vaccine).実際,この戦略に基づいたワクチン剤形は,動物モデルで着実な効果を上げている(3, 4)3) A. Impagliazzo, F. Milder, H. Kuipers, M. V. Wagner, X. Zhu, R. Hoffman, R. van Meersbergen, J. Huizingh, P. Wanningen, J. Verspuij et al.: Science, 349, 1301 (2015).4) H. M. Yassine, J. C. Boyington, P. M. McTamney, C.-J. Wei, M. Kanekiyo, W.-P. Kong, J. R. Gallagher, L. Wang, Y. Zhang, M. G. Joyce et al.: Nat. Med., 21, 1065 (2015)..しかし,誘導された交差性抗体の持続性が通常の抗体よりさらに低い可能性が臨床研究から示唆されており(5)5) A. K. Wheatley, J. R. Whittle, D. Lingwood, M. Kanekiyo, H. M. Yassine, S. S. Ma, S. R. Narpala, M. S. Prabhakaran, R. A. Matus-Nicodemos, R. T. Bailer et al.: J. Immunol., 195, 602 (2015).,何らかの方法で誘導される抗体の量と持続性を高める工夫が今後必要になると予想される.
インフルエンザワクチンが誘導する抗体の量と持続性は,実は活性化T細胞からB細胞に供給されるヘルパーシグナルの量と質によるところが大きい(6)6) G. D. Victora, T. A. Schwickert, D. R. Fooksman, A. O. Kamphorst, M. Meyer-Hermann, M. L. Dustin & M. C. Nussenzweig: Cell, 143, 592 (2010)..そのため,ワクチン抗原に求められる性質として,B細胞抗原受容体である抗体に結合することに加えT細胞抗原受容体にも結合して,T細胞からヘルパーシグナルを引き出す必要がある.T細胞エピトープは,20アミノ酸以下のペプチドからなるため,主にアミノ酸一次配列で抗原性が左右される.そのため,バイオインフォマティクスによる抗原性予測が比較的容易であり,これまで複数のソフトが開発されている.
インフルエンザワクチンに含まれる主要な抗原タンパクはヘマグルチニンである.実は,ワクチンに含まれるヘマグルチニンについて,バイオインフォマティクスによるT細胞エピトープの解析が行われた結果,興味深い結果が得られている.ヒトでの免疫原性が極端に低いことが知られている鳥インフルエンザH7N9に対するワクチンでは,T細胞エピトープの性質がほかのワクチンと異なることがわかってきた(7)7) R. Liu, L. Moise, R. Tassone, A. H. Gutierrez, F. E. Terry, K. Sangare, M. T. Ardito, W. D. Martin & A. S. De Groot: Hum. Vaccin. Immunother., 11, 2241 (2015)..つまり,T細胞エピトープにはT細胞を活性化して免疫のアクセルを踏む従来タイプのT細胞エピトープに加え,制御性T細胞を活性化して免疫にブレーキをかけるいわば抑制性T細胞エピトープの存在が明らかになりつつある.そしてH7N9のヘマグルチニンは,この抑制性T細胞エピトープの比率が高いのではないかというモデルである.このモデルが正しいと仮定した場合,抑制性T細胞エピトープに変異を入れて免疫へのブレーキを解除すれば,誘導される抗体の量と持続性が増加することが期待される.実際,私たちは,バイオインフォマティクスの情報に基づき,僅か3アミノに変異を加えることで,この抑制性エピトープ配列を通常の季節性ワクチンのタイプに人為的に戻したH7ヘマグルチニンタンパク質を作製した(8)8) Y. Wada, A. Nithichanon, E. Nobusawa, L. Moise, W. D. Martin, N. Yamamoto, K. Terahara, H. Hagiwara, T. Odagiri, M. Tashiro et al.: Sci. Rep., 7, 1283 (2017)..そうしたところ,免疫系ヒト化マウスにおいて,期待どおりの免疫原性改善効果が観察され,抗体濃度が有為に増加した.この結果は,バイオインフォマティクスによるワクチンデザインと免疫学による実験的な検証を組み合わせることで,抗体誘導型ワクチンの有効性を改善する新しい可能性を広げた点で大きな意義があると考えている.
現在,ワクチンによる制圧が求められている感染症は,従来のワクチンでは対応が困難なタイプである.その中でも,抗原変異を起こしやすいインフルエンザなどの感染症については,抗原変異を起こしづらい交差エピトープに対する抗体を効率良く,そして持続性良く誘導できるワクチン抗原の開発が有望な戦略の一つと考えられている.本稿で紹介したように,免疫学と構造生物学の融合により,交差性抗体をターゲットとしたワクチン抗原が開発可能になり,またバイオインフォマティクスの導入で抗体量と持続性を高めるようなT細胞エピトープの最適化が可能になりつつある(図1図1■B細胞エピトープとT細胞エピトープを最適化した抗原による交差性抗体の誘導戦略).最新科学技術を駆使してデザインされた次世代ワクチンが,人類を長年苦しめてきた感染症の制圧に寄与することを期待したい.